つくばカウンセラー夫婦の日記

お互いがカウンセラーの小学校の同級生夫婦が日頃考えていること、感じていることを日記形式でつづっています

いろんなことを言う人がいる中で、少なくとも自分だけは飄々と生きていきたいものである

長年生きているといろんなことに出会すわけで

こんな中で狭い世界だけで

その価値観を押し付けられるのは受け入れ難い

 

今日は学習塾の指導者・経営者向けの勉強会があったのだけれど

「受験オンリー」というか「受験以外の価値観を認めない」というあたりが

わたしにとって受け入れられない

 

そう思うのは甘いのだろうか

 

物理の数式や現象。手描きのイラスト。数学と科学委員会。学校、ベクトル図での物理教育 写真素材 - 87900710

 

受験をパスすれば人生はバラ色

 

今時そんなことをまだ言っている大人がいて

 

その人がいうバラ色というのが

 

びっくりするくらい狭い世界で

 

かつ

 

そこに身を置いたこともないという

 

 

 

 

言う方よりも聞く方を問題視した方が良いのだとは思うのだが

 

この仕事をしていてやりきれない思いになる瞬間

 

 

 

飄々と生きていくしかないよね

後々の面倒を見ることになる人たちに迷惑をかけるのはわたしはいやです

大学生の時

家庭教師・塾講師の仕事を始めるとしたら

クルマを持っていないと始まりませんでした

 

そんなわけで

わたしはクルマ依存の生活が大学1年から始まります

 

学生でクルマなんて贅沢だ

と言われる気持ちもわかりますが

これがないと収入もないから切実です

 

ただね

最初のうちはクルマのために働いているようなものでした

(それはそれで楽しかったけれど)

 

大学・大学院・社会人と

10年間つくばで暮らした後に都内世田谷区に住みますが

脱・クルマ依存ということで手放します

 

たぶん

一生クルマ生活をしないだろうなとこの時も思ったし

闘病中、免許の更新に行けないくらい体調が悪い時期があって

更新は諦めようと思ったほど

 

つくばに戻ってきてからも

最初のうちは極力乗らないようにしていましたが

今ではすっかりクルマに頼る生活です

 

 

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クルマがないと生きていけないのかな〜っていつも思うんだけれど

つくばでの

 

家探しもクルマがなくても暮らせるところ

 

ということで探しましたし

 

私たち夫婦でそれぞれ一台持つというのはこれまでしてこなかったし

 

これからもするつもりはありません

 

 

 

それに

 

つくばに来てからの「まちづくりの取り組みで考えていること」は

 

高齢化社会での脱クルマが実現するまちづくりというもの

 

さて

 

昨日、むすことの電話で

 

「将来はどうする?」と聞かれて

 

ノープランだと答えてしまったのですが

 

これってあまりに(心配してくれた)むすこに対して失礼だったと

 

後からものすごく反省しました

 

 

 

 

よく言うじゃないですか

 

「親のことは子どもは心配しなくていい」って

 

いや、気持ちはわかるけれど

 

何かが起こってからじゃ遅くて

 

結局はその時になって考えるのも実際事実なんだろうけれど

 

どういう気持ちでいるのか

 

そのために何をしてきたのか

 

それくらいをハッキリさせて伝えておくと言うのは

 

わたしは大切だと思ったんです

 

それをしないで

 

後々の面倒を見ることになる人たちに迷惑をかけるのはわたしはいやです

 

 

 

 

 

わたしは人事異動の経験もあるし

 

病気で休職もしたし

 

仕事に穴を開けるというか

 

負の遺産を残して去るというのはできないんですね

 

 

 

家庭教師の仕事も

 

まちづくりのボランティアも

 

あと何年と自分で線を引いて

 

退く準備を数年前からしていく

 

つまりは新しい案件を引き受けないことをしてきました

 

例えば

 

わたしは大学院修了後に一旦区切りをつけ

 

また

 

東京転勤を希望していたので

 

(それが叶うかわからないけれど)そのタイミング前のみ

 

受験指導の生徒さんをお引き受けする

 

といったようにしてきたのです

 

そうして他人様には気を使ってきましたが

 

むすこたちについては曖昧なままにしてきちゃいましたね

 

そんなもやもやを感じながら昨夜は過ごしました

 

 

 

さあ、これからどうしよう

 

もちろん遠く離れることには迷惑がかかる

 

そして

 

クルマ依存の暮らしからも再度脱却を考えないとです

 

奇しくも今朝目にしたブログにこうありました

 

 

 

「日常生活に車が必要というのは困ったエリア」

 

わたしは今まで

 

一人一台クルマを保有しているご家庭はリッチだな〜と思っていたんですが

 

家計を逼迫しているという例も見逃せないほどありそうです

 

わたしだってクルマのために働いた経験があるわけですから

 

この先どうなるか想像がつきます

 

「クルマは保有できるかもしれないが

 

その分必要な時間がなくなり、必要な自分への投資ができなくなる」

 

これが地方を貧しくしている元凶だと書かれているので

 

そうであったとしたらと胸が痛くなりました

 

chikirin.hatenablog.com

 

 

確かに筑波大学時代は

 

クルマのために働くと言っても

 

クルマは他のことにも役立ちますし

 

それより公共交通機関で支払う金額より

 

ガソリン代だけの負担になるので

 

安くなっているという錯覚を持ちます

 

一方でホントかなと思っている自分もいたので

 

こうして保有台数を増やすことはしてこなかったのですが

 

 

 

 

突然病気になるというのは他人事ではありません

 

現にわたしだって

 

働き盛りの37歳の時に突然倒れて

 

家族にも大変な思いをさせてしまいました

 

だからこそ

 

これからの生き方について気をつけていこうと思うのです

そういう生き方っていうのもあるんだな と 子どもに教わりました

今日は家族の一人が病気になり

そのサポートでバタバタとしていました

 

こういう時

ただ心配の言葉だけを述べるんじゃなくて

具体的に

これやるよと言ってくれる関係ってありがたく

 

それがわが家族であることを

とても頼もしく思いました

 

 

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自分のアルバムを「病院」というワードで検索したらこの写真が出てきました、沖縄に行ったのは覚えているけどこの場所のことは覚えていない

このブログにも書きましたが

南の国(地域)に移り住みたいのがわたしの夢

でも

今日のようなことがあるとそれはないな

 

心配とか心細いというよりも

家族に迷惑をかけたくない

 

今日はその流れで

むすこの一人と電話で話をしました

 

「将来をどうしたいの?」と聞かれ

思いのまま話をしましたが

「自動運転ができればキャンピングカーで旅をしたら」

と提案されました

 

そういう生き方っていうのもあるんだな

子どもに教わりました

今週末と来週をあらわすカードは「参加」、アドバイスカードは「マインド」、アロハウハネカードは「思い込み」でした

毎週お届けするタロット

 

 

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今週末と来週をあらわすカードは「参加」、アドバイスカードは「マインド」、アロハウハネカードは「思い込み」でした

 

潮流の歴史を知る、潮流に乗る

最近知ったことですが

ジャマイカのレゲエに関係するリズムのスカ

イギリスのモッズサウンド

関係があるんだって

 

イギリスのモッズとパンクミュージック

パンクとめんたいロックの関係

 

そこからわたしの音楽に影響していくという話

 

道理で

レゲエも自然に入れるのだなーと思いました

 

こういうこと

一昔前は、いやもっと若い頃(20代)は

自分には理解できないような

 

 

いや恐れ多い

そんな感じで気後れしてしまって近づけなかったんですね

言ってみれば聞き役

 

 

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自分のアルバムを「コミュニティ」で検索してみたらたくさんの「密」な写真が出てきた、こういう時代があったんだね〜

 

好むと好まざるに関わらず

わたしは大学で研究室に配属され

そのメンバーとして学会発表をしていきます

 

そこで認められ

企業の研究機関に就職し

そこで成果発表をしていったり

製品コンセプトを打ち出していきます

 

あとから考えると

アーティストみたいだよね

 

年に数回は成果をリリースしていく

できないとスランプだとか言われてしまう

発表には前作との違い

一緒の時代を生きている人たちとの中での違い

 

誰の影響を受け

そして誰が影響を受けていくのか

そういう風に見ていくと

自分も潮流の一つなんでしょうね

 

こう見ていくと

なんだかおもしろい

 

かつて

コミュニティでミニFMのラジオをやっていたというのも

まちづくりの一手段としてやっていたことが潮流

 

アクティブラーニングから新しい

学習方法を実践しているのもまた新しい潮流

 

こう整理して

書いていて気がついたことがいくつかあるんで

ここにも書いていこうと思います

 

まず

潮流に乗っているなーと思うときは

自分でどの立ち位置にいるのかわからない

わからないというか

気にならないくらいがいい流れなんじゃないかと

自分の経験では言えるね

 

 

それと

他の誰々との違いというのも周りがいうほど気にならない

外野がなんか言っているなー

くらいの感覚

 

 

そんな混沌としたような感覚が

潮流に乗っているなーと感じるかな

HSPだったら 書いていくことにとても気を使ってしまうので 考えるだけで 胸が痛んだ一日でした

今日一瞬だけ

本屋さんの中を通過した時に

ふとHSP関連の本が平置き・山積みされていたのを

見かけました

 

つい数年までは

発達障害だったりしたのですが

 

 

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最近、山を見たくなります 行けてないからね〜

発達障害なり

HSPなり

うつ病なり

 

周知は当事者としてうれしいものですが

一過性のブームだけで終わってほしくはないし

わたしも正しく捉えられて表現できているかはわからないけれど

わたしから見て間違って伝えわってしまうのもね

 

本って今時は

いわゆる学術誌ではなく商業誌(学術書と商業書?というのかな)

レビューが見られるし

その中には厳しいコメントもあるし

 

そういうのを見ると

こちらも切ない気持ちになります

 

再版されないのであれば

あるいは

図書館でほとんどサーキュレーションされていなかったり

レファーされない書物ってなんなんだろうな〜

 

なんて

HSPだったら

書いていくことにとても気を使ってしまうので

考えるだけで

胸が痛んだ一日でした

うまくいくか、いかないか/何を持ってうまくいくいかないというのか

子どもの頃から言われるわけです

努力を強いられることもあるわけです

頑張れば頑張るほど

成果はついてくるといった錯覚もあります

 

だけど

ある程度までいくと

頑張っても頑張らなくても変わらないような感じになり

だんだん運頼みになったり

他力本願になったり

 

これが

勉強だったり

スポーツだったり

あるいは仕事だったり

での話だとしたら

わたしは結構共感できる話でした

 

 

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暖かな陽射しはいつ感じても素晴らしいもの

これが健康だったり

自分を取り巻く人間関係だったり

それこそ

これから何をやればいいのか?

周囲に頼れる人がいない

伴走する人がいない

 

そんな時はどうなんでしょうね

 

 

勉強で言えば

わたしは大学で勉強がわからなくなりました

筑波大学だから50人に一人くらいはわかっている人はいるのかもしれませんが

もう本に書いてあることがわからない

読んでわかったとしてもまたわからなくなる

 

 

先生はわかっているのかもしれませんが

 

 

そんなこと言っても生きていくしかないし

やるしかないし

自分なりにどう勉強したら良いかを探りながら

できることをなんとか頑張った結果

 

研究機関で研究することができたと同時に

ちゃんとわかっている人って存在していたんだなと

感心したものです

 

さて後半の

これが健康だったり

自分を取り巻く人間関係だったり

それこそ

これから何をやればいいのか?

周囲に頼れる人がいない

伴走する人がいない

 

これだとすると

どうなんでしょう

 

学校や仕事だったら

なんとか引き上げてくれるリーダーの人

成し遂げようとするチームメイトが

いるから良いかもですが

 

健康・人間関係・キャリアだったら

どうでしょうね

 

わたしが学校で学んだこと

「先生一人に生徒数十人」

言い方悪くて失礼になっちゃうように取られてしまうのは

わたしの表現力不足になって申し訳ないんですが

 

先生は生徒が思っている以上に

時間を割くことは厳しいんです

 

単純な話

50人の生徒を受け持っていて

生徒のことについて1時間考えたとしたらそれで50時間

1週間分の労働時間を超えます

 

でも生徒が自分のことを1時間考えてみる

それは容易くできるわけですから

 

その時間のアンバランスというものが

存在してしまうこと

それをわかった上での

先生と生徒

先生とクライエント

関係って

溝って

いうのが見えてくるんだと思います

 

 

わたしは今

右上の歯がしみることがあります

特にチョコレートを食べるときにしみるのですが

歯医者さんに行くか迷っていました

 

行って大変なことになったらどうしよう

行かずにもっと大変なことになったらどうしよう

 

モヤモヤ悩んでいました

そこに定期検診のお知らせがあり

 

もし定期検診に行って

「どこか気になることはありますか?」と聞かれたら

わたしはチョコレートの話をしないわけにはいかない性格なので

伝えてしまう

 

そう考えると

定期検診を理由をつけて先延ばしにしてしまっている自分がいるのです

 

 

おそらく

わたしはあの「キーン」「キーン」という歯の治療が嫌で

嫌だと先生に伝えても結局説得されて

治療を受けることになるという

側から見ると何を言っているんだという構図になると思うのですが

こうなると

「それでも行きなよ」と後押ししてくれる声とか

治療に耐えうるモチベーションを与えてくれる存在というものを

具体性もないのに待ち望んでいるのかもしれません

 

歯医者を例に出しましたが

人生とはそういうものなのかもしれませんね

 

このブログに書いてきましたが

わたしは12年以上の期間

休職と復職を繰り返すような病気をしてきました

 

考えれば考えるほど

原因とよくなった理由というのが複雑だし

 

今こうして薬を飲まなくなって6年が経ち

(それはそれでありがたいことですが)

どうして断薬がうまく行ったのか

今となっては「奇跡」じゃないかと思えるし

 

ホントこの問題というのは

わからないなーと思うのです

 

自分でもわからないから

たぶん先生方もわからないのかもしれない

どうしてかっていうのは

考えて考えたのは一番自分が長いんです

 

もちろん先生の知見は素晴らしいし

信頼される方々です

でも先生の知見だけに頼っても

この先を生きていくのは自分だから

自分の行動一つ一つを気をつけていくのは自分だから

自分が一番詳しくないとって思うんです

 

その自分がわからないから

あまりに複雑すぎて・・・

でも

物理や化学の研究者をしていた自分にとっては

世の中の現象って

そんなに単純なことで説明はできないんですよね

不思議なことばかり

 

だからうまくいくいかないは

トライアンドエラーの傾向の方が多くて

こうやればうまくいくと表記できるほど

単純なものではない

 

そんなことを思いながら

ふと書いてみました