つくばカウンセラー夫婦の日記

お互いがカウンセラーの小学校の同級生夫婦が日頃考えていること、感じていることを日記形式でつづっています

自分が何を見て生きているのか どう見ても10歳くらいところから変わっていない

週末、友人(年齢は離れているが)から結婚の連絡があり

新居について尋ねたところ

妻の親戚のお寺の近くであることがわかってとても驚いた

 

妻の親戚なので訪問するときは夫婦でとなるが

結婚して33年余りとなると

その間何度かわたし一人で訪問したことがあった

 

その時最寄り駅からではなく

ぶらぶらと一駅、また二駅と歩き

その途中に先ほどの友人宅があるのではないかと記憶を掘り起こしてみた

 

そんな中、心強い味方になったのが

道々撮影した写真である

 

今日はそんなことを思い出してみよう

 

わたしの記憶にあるのは

 

たしか、夏の晴れた日に歩いて

途中、寺カフェっていうところで涼んだ

 

そして妻に「代わりに行ってきたよ」と伝えて礼を言われたこと

 

これくらいである

どこから歩いたのか

何時間歩いたとか

景色がどうだったとか

帰りはどうやって帰ったのか

などということは覚えていない

 

道中、何を飲んだり食べたりしたのかも覚えていない

 

初めて行くところだったり

珍しいイベントだったりすれば

覚えているだろうが

 

それでも

こうして覚えているのは

一人で行ったことが

日常とまでは言えない世界だったこと

そして

何駅か歩いたっていう

非日常的な要素が多少はあったからじゃないかと思っている

 

写真のおかげで

以下のことがわかった

 

二駅前から歩いていて

所要時間は約3時間

うち1時間以上はカフェで過ごしている

帰りの電車は来たルートとは違う方向へと進んでいったようだ

 

 

道中、なにげなく撮った写真(24ヶ所で撮影してうちの7ヶ所)

 

 

もう一つ足しておこう、あとは他所様のお宅が写っていたりするのでそれは割愛する

 

これを撮影したのは7年前

どんな写真を撮ったかは記憶がなく

撮った写真を見れば確かに撮ったことは覚えている

 

それより驚いたのが

自分が何に興味を持っていたのかということ

そして

それが

今とあまり変わらないことだ

 

頭の中身というか

普段何を見て生きているのかがわかってこわい🤗

 

こういうのも認知というのであれば

新しい「認知行動」とでもいうのだろうか

 

うなぎ弁当・電車・ライブハウス・虫かご・物理・学習塾

寺社・カフェ・メダカ・ナイター(野球)・一本道・学校・海鮮丼

焼肉・ジュース・自販機 

 

である

どう見ても10歳くらいところから変わっていない

 

自分が何を見て生きているのか

今回、たまたまやってみておもしろかった

 

 

 

さてさて

友人宅とは残念ながら線路を挟んでおり

しかも1キロ程度離れたところを歩いていたようで

「行ったことあるよ」とは言えなそうである

余剰なものがいかに普通の流れを滞らせているのではないか

週末はテレビで

沖縄・福島について見た内容が印象に残っている

 

戦争・天災に見舞われた地域が

これからどう暮らしを作っていくかという話で

考えさせられるのが

個人・家族・地域・自治体・国

のそれぞれがどこまで頑張ればいいのかだ

 

わたし自身病気をして

今でもそうだけれど思うように動けないとなった状態では

まず自分が生き延びることを優先に考えてしまうし

それでいいんだと思うのだ

 

そして少しずつ

その力を身近なところから外へ向かって広げていけばよいと

思うのだが

 

 

 

前述した病気になって

わたしは北海道から沖縄まで旅をした

それで全国をくまなく歩いたとはとてもとても言えないが

わたしが訪れた地方都市・市町村いわゆる

人が集まって暮らしている場所では

どこもきれいで、コンビニもあり、似たような品揃え

そして生活に必要なものは揃っているばかりか

モノ余りなんじゃないかと心配するくらい豊かだった

 

その時に

経営コンサルタントの先生に

その様子をお手紙にしたことがある

 

それは

消費しきれないほどのものが日本中にあるけれど

この現実と

どうしてこういう状態になるのか

そして

今度の危険性について尋ねるものであった

 

 

この一ヶ月

夫婦で相談して

週の予算を決めて生活しようということになった

 

わたしはお金を貯めようとか倹約しようというスタンスで参加したのであるが

妻の話では

食品ロスが減ったことと食材のいろんな活用方法が生まれたという

確かにバリエーションが増えて楽しい

 

 

そこからいろんなアイディアも生まれてきている

 

この基底にあるものは

余剰なものがいかに普通の流れを滞らせているのではないかということ

 

わたし自身も

引っ越して5年でまた増えてしまったものを片付けるが

その度に同じような気持ちになるのである

今週末と来週をあらわすカードは「普通であること」、アドバイスカードは「条件付け」、アロハウハネカードは「海」でした

毎週お届けするタロット

今週末と来週をあらわすカードは「普通であること」、アドバイスカードは「条件付け」、アロハウハネカードは「海」でした

 

 

今週末と来週をあらわすカードは「普通であること」、アドバイスカードは「条件付け」、アロハウハネカードは「海」でした

 

 

anchor.fm

 

引っ越しすると新しいアイディアが浮かぶというのも本当のようだ

iカウンセリングの待合室は

わたしどもスタッフからは

「ダイアログ室」と呼ばれていて

小さいながらもオープンダイアログや

わたしたち夫婦がカウンセリングを実施する際に

使われている

 

 

コロナ禍ということで

現在はわたしがここで作業をしている

 

 

 

もう一つわたしには仕事部屋があるのだが

そちらから引っ越してきたようなものだ

 

 

この冬はハイビスカスなどの越冬のため

ダイアログ室を使ったが

来冬はどんな使い方をするのか考えてみるのも楽しい

 

 

また

部屋を変わって

わたし自身気分転換になった

 

 

 

これくらいのプチ引っ越し

夏季と冬季で部屋を変えてみるのもおもしろい

習慣化することで楽になる、そんな力を身につけたい

今日は木曜日でラジオ局の企画

【MOVIE TIME MACHINE🎥】

これ3年以上続いている

というかD.J.HIROことわたしなんだけれど

全回参加している皆勤賞

そろそろ3年かなーと思っていたら過ぎていた

 

慣れたもので

もう当日は細かな修正をするだけの状態にできている

今回もワクチンの影響がもし出たらと考えて

昨日のうちにほとんど完成させていた

 

 

以前番組のインスタライブに夫婦で出演した時

妻が「もう仕事になっている」と笑って紹介していたが

わたしとしては「そういうのが仕事に映るんだ」と

新鮮な気持ちになったものだった

 

 

木曜のコーナーなので

その日に翌週のタイトルが発表される

週末の間に映画を見るようにし

月曜からどういう文章でレビューを書くか考え始め

水曜には実際に原稿にして

木曜の朝7:00に投稿という流れ

 

 

この3年間で

今が一番落ち着いて書けているのは

今学習指導の仕事をお休みしているからだろうと思われがちだが

慣れなのである

 

 

 

ちょっと前まではコロナ後遺症でしんどかったし

その前は授業、指導がびっしり詰まっていて

さらにその前は取材や調査で出張など

その時々で忙しく

時間をやりくりしているうちに

上記の流れを掴んだんだと考えている

 

 

以前、人間は意志を持って行動していないということを書いたが

じゃあ進まないじゃないかという考えに対して

習慣という概念が紹介された

 

映画見ようかな、どうしようかなというのを意志任せにするのではなく

自然と映画を見て、内容を考え、原稿にしていく

それが習慣化されてるいるのだ

 

このブログでも週末に紹介している

タロットの配信も同じ

こちらも続けて3年半となる

 

 

会社で定期的に仕事をする

学校に行ったり、家庭学習も習慣化が大事なのもそれと同じことだ

 

 

わたし自身が20時になったら勉強するという習慣があったので

家庭でも同様にした

 

これがバラバラだとリズムというか習慣が崩れ

「勉強しなさい」「嫌だ」のバトルが始まり

そこで勉強するエネルギーを使い果たしてしまうような気がする

 

たしかに

家庭教師を37年やった経験からもそう言えるし

何よりわたしが怒りのエネルギーを浴びてしまって

それだけで疲れてしまいパフォーマンスが出せなくなり

結局はお互いに、四方八方にもったいない話である

 

 

そう言われるとこのブログもわたしにとっては習慣であり

元をただせばわたしは中学二年から毎日ふりかえりと日誌だけは

どんなことがあっても続けている

 

もう40年以上??

 

 

すごいなーと思うけれど、そんなに苦だとは思っていない

やれそうなことを習慣化すればいいのである

ワクチン接種のため、短め

後遺症で大変な状況ではあるものの

3回目のワクチン接種の案内が届き

いつ打つかが悩みだった

 

不安な要素は二つ

そもそものワクチンに対するもの

もう一つは会場までの移動手段だ

 

今歩けないので

原付なら行けると考えているのだが

そうなると天候の問題が出てくるので

予報を見ながらとなるが

直前でも取れるのだろうか

 

実際には本日で予約していたのだが

雨の予報が出て数日前にキャンセル

ところが直前になって晴れの情報に

 

また数週間先かと思って

再予約を試みたところ

キャンセルした予約はまだ埋まっていなかった

 

ついていた

今のところ副反応も許容範囲である

人が集まるのには 「美味しいものが食べられるなー」と言うのがだいじなんですよねー と笑顔で発言した妻の言葉

787系つばめの話を書いた

そしてビュフェに惹かれたことも

 

何かの本で読んだことがあるが

食堂車を列車の中心に置くことで

そのことが人が集まってくると言う話

 

列車の中からと言うのではなく

列車の外からと言う意味だ

 

 

わたしは地域コミュニティに関わることをしていた

どうやったら参加してくれる人を増やすことができるか

そういった勉強会に参加したこともある

 

あるとき妻もその場に来たのだが

自分の実家がお寺であることと

人が集まるのには

「美味しいものが食べられるなー」と言うのがだいじなんですよねー

と笑顔で発言したことがある

 

 

当たり前のことかもしれないが

わたしは「なるほど!!」と膝を打ったことを覚えている

 

 

食堂車で提供される料理については

冷静に考えると

街中で食べるものよりも

冷凍食品を温めたものに近い

 

それをおいしいと言えばその通りだが

その言葉の中には雰囲気など特別な空間であるといった

ものも含むのだろうか

 

あるいは

おいしいと言う言葉には「都合がいい」と言う意味もあるが

そこまで拡張して考えた方がよいのだろうか

 

妻の発言にそうした含みがあったようには思わないが

こうして忘れない思い出になっているのは

何か理由があるのだろう

その後787系に関する本を読んだのだが

それだけに食堂車の持つ意味は大きいとともに

まさに自分がそこに惹かれたわけだから

 

 

海外の食糧体験から、どこへ行ってもマイペースを貫けるとよいなと思った次第である

海外で暮らす友人がいて、そこを訪ねたこともあった

わたしくらいの歳になると帰国するパターンが多いのだろうか

今はめっきり減ってしまったように思う

 

とはいえ今の話は同世代で

世代が若返るとまだ頑張っていると聞いているし

これから海外で新生活を始めるといった友人もいる

 

便りをする中で

海外の物価上昇の話題が出た

そのことについて、調べたことを今度手紙に書こうと思っているので

今日はここでそのことについて考えてみたい

 

わたしは海外に住んだことはなく

半月くらいの滞在を何度か繰り返した

 

多くの場合は日本のお店がそう遠くないエリアに

あったと記憶している

 

その時の印象だと

「日本よりちょっと高い」くらいな感覚だろうか

お弁当だったら

当時700円くらいのものが1000円くらいの感覚

 

今だったら

その700円のお弁当は500円くらいで今の日本で買えると思うので

それが海外ではいくらになっているのだろうか??

 

アメリカはこの20年で物価が2倍になっているとしたら

弁当は2000円?だとすると日本の4倍??

だったら高いよな*1

 

海外にある日本の品々を売っているスーパー

 

そういうこともあって

わたしの肌感覚でどうだろうと考えてみた

 

わたしが海外(アメリカ)に頻繁にいっていたのは

2000年頃なので今から20年くらい前

 

当時の記憶だと

ホテルの朝食を頼んだら税チップ込みで2000円くらい

大都市でランチを食べたら税チップ込みで3000円くらい

そんな感覚がある

 

だから外食は高いという印象

一方で自分の好きな服、スポーツウェア、CD、本、ビールなどは安い

だから海外に買い出しに行くような印象もある

 

あくまでも印象なので

定点観測になるようなものはないかと探してみる

 

例えば2004年頃であれば

マンハッタン-JFK空港のタクシー料金は35ドルで

今が55ドルであるらしいので*2

 

それだけ物価が上がったといって良いのかもしれない*3

 

 

結果的に

友人に手紙を書くときは

「食費は高かったけれど、その他の衣服や本など雑貨は安かったので

短期滞在の自分としては物価の印象として高いもの安いものを

相殺していたのかなと思う」

となるのかな

 

 

さて、食費についてだがいくつか思い出がある

まず、最長でも二週間の滞在だったのでわたしは全食分の食料を持って行った

コロナ自宅待機でいただいた「ご飯、ラーメン、レトルト食品など」だ

ご飯についてはお湯で戻すタイプのものだから重くならない

3食✖️14日で42食だ

(アルファ米10、おこわ10、袋麺10、レトルトカレー10 これで40だ)

 

もちろん全日程これであるはずはない

ただ全食分持っていくことで背に腹はかえられぬといった状態で

高い食事になってしまったと言うことは避けられた

 

 

せっかく海外に行ったのにもったいない

とも言えそうだが

行きたいなと思った店にチャレンジしたこともあるし

人と一緒の時はお店に同行した

だからもったいないという思い出はない

食べなかったら日本に持って帰れば常備食にもなる

 

そんなことを思い出した

 

で、

それにしても全食とは思い切ったよなーと自分でも思ったのだが

そもそもは初めて海外出張に行った時

直前で水害だかの自然災害があって

お腹を壊した社員もいたから

食料は全食分持ってきた方がいいというアドバイスが

前乗りしていた人たちからあったからだと言うことを思い出した

 

実際現地に入ってからそんな思いをしたことはなかったのだが

備えるに越したことはない

以来、それに慣れてしまったのかもしれないな

 

あと

このブログを書いて思い出したことがもう一つ

 

高校時代

友人の一つ上のお姉さんとその友達が上京するので

若者向けエリアを案内したことがある

 

 

今は建て替えられてしまった青山の宿に滞在するとのことだった

夕飯はどうするとなった時

「私たちは持ってきたカップ麺を食べる」と聞いてびっくりしたことがある

 

せっかく東京に来たのにと一瞬思ったが

その方達は東京の上を行く高級住宅街からいらしたことを思い出し

それもいいかな、ふだん食べないだろうからと

逆にうらやましくも感じたのである

 

 

 

*1:ビックマック指数というのがあってそれだと1.8倍くらいのようだ

*2:出典を調べてると終わらなくなるからここではあくまで記憶を頼り

*3:これだってタクシーが全てかよというツッコミがあると思うので、あくまで例だ

787つばめから見た八代海の思い出から国語の授業につながったものがたり

土曜に書いたように*1

頭の中に残っていることを書こうと思う

そのため情報を引っ張り出して、とかはしない

間違っているかもしれないが

これはわたしの頭の中のことなので

 

しばらくこんな感じでブログを書いてみたい

 

 

 

学生最後の旅行

いわゆる卒業旅行は九州にしたのだが

その頃デビューした「787系つばめ」に乗りたい

それが理由だ

 

787系の運転台

 

なぜ「787系」に惹かれたのか

一番に挙げるとしたら

ビュフェ車である

 

 

鉄道模型をやっていたせいもあり

一編成にいろんな車種があるのが好きだったこと

食堂車よりこっちの方が好きというのは

座って、注文して、待ってという一連の流れは

幼稚園の頃から好きじゃなかったこともある

 

 

じゃあ、席で駅弁食べていればいいじゃないかと

言われるとそうではないんのがなんとも

表現するのがむずかしい

 

 

 

今、記憶にあるのは

家族で787に乗ったのたが

わたしだけビュッフェに行った

 

レンチン(だったと思う)のチャーハン?を慌てて食べた記憶が残っているが

でもね、ビュフェ車で車窓を見ながら食べた場面で

一番記憶にあるのは社内の様子でも

食べたものでもなく(書いているようにあやふや)傾いた陽の光に反射した八代海である

 

 

30年前の話だがこれだけ

 

 

この時、この海に感動したとかそういうのではなく

覚えているとしたらというレベル

ただ、どうしてこれだけ覚えているのか

そちらの方にわたしは興味がある

そしてもうこの電車は走っていないが

いつかこの海に行ってみたい

 

 

この2年間、国語の授業で苦海浄土を取り上げた

 

「苦海浄土を読む」という内容ではなく

こちらの(一番難しい)私立高入試の問題文にこの本についての記述があったのだ

 

問題文であって設問ではないから

普通だったら授業ではスルーとなるだろうが

この高校は医科系コースを持っていたこともあって出題したのだろうという

わたしの分析があったのであえてこの本の紹介をした

 

そのうちの一人だけ

ものすごく興味を持ってくれた生徒さんがいた

 

 

 

たまたま見た窓の景色が

こうして時を経てわたしを通して次の世代につながっていく

つないだ先で受け止めてもらえたのかもわからないが

わたしがつないだ無意識とも思える選択は

確かに自分の意思かどうかわからない

 

 

 

ただ、こうして興味を持って聞いてくれた人がいたと思えることは

自分の意思から離れた必然だったのかなと思う

 

 

 

今日はこの言葉で締めくくるが

以降、こうだったのかなと思っているようなことを綴っいきたい

 

 

 

 

今週末と来週をあらわすカードは「夢」、アドバイスカードは「内に向かう」、アロハウハネカードは「深呼吸」でした

毎週お届けするタロット

今週末と来週をあらわすカードは「夢」、アドバイスカードは「内に向かう」、アロハウハネカードは「深呼吸」でした

 

 

 

 

 

今週末と来週をあらわすカードは「夢」、アドバイスカードは「内に向かう」、アロハウハネカードは「深呼吸」でした

 

 

 

 

 

 

anchor.fm

 

 

 

今の自分がこう思った それだけでいいじゃないか

昨日今日と見たテレビの中で

「人間の意志・意思というのはあるようでいて

実はそうでもない」というもの*1*2

 

意志がはたらいているようで実はそうでもない

という話には、わたし自身もそうかもなーと共感することはあるが

テレビを見て

・とはいえ達成したいという思いはあるから夢を持つなど

 そういう確率を上げておくことはよいだろう(精神保健福祉という意味でも)

・人間とはあたかも自分で選択してきたんだと意味付けをしたがる

・今の状態があるのは、今の因縁

 

あたりについて考えることになるが

一番目の最初はその通りで

二番目についてはこのブログでもこういったことをよく書いている

 

なんでつくばに戻ったのか

なんで今の仕事に就いているのか

 

理由は一つではないし、説明しようにも困るのだ

困っているのにも関わらず

説明しようとする自分がいる

 

毎日聴いているラジオについてもそうだ

なんで九州の放送局を聴いているんですか?と

九州のリスナーさんに聞かれて

それについて思っているとことを話そうとすると

30分くらいかかる

それだけ理由が見つけられるのだ

 

 

繰り返すが

人間とは過去の選択の意味付けをしようとするものらしい

 

今回衝撃的だったのが

理由はつけられるがそれは理由がつけられる範囲だけである

ということ

 

これを聞いて笑ってしまったし

今までなんでこんなことに時間を割いていたんだろうとも思ったし

もういちいち考えてもしょうがないかとも思えたので

結構気が楽になった

 

それともう一つ

今の自分があるのは

因縁果*3というものであって

 

よいとか、わるいとかそういうものでもないし

 

その時の状態は、その時の因縁

未来はわからないから自分で決めつけない、絶望しない

と考えるらしい

 

わたしはこうも考えられるのではと思った

 

このお寺さん

京都の大文字焼きの山の麓にある

 

わたしは京都に行って

大文字焼きの山を見るととてもうれしくなる

なんでうれしく思うのは

昔見たアニメ「いなかっぺ大将」で大文字焼きのシーンが出て

それがきれいだったのと

そして初めて京都に行った時

その大文字焼きの山が本当にあることを確認して

とてもうれしかったのだ

 

だからわたしは「大」の字が好きだし

むすこの名前に「大」という文字をつけた

 

たとえば、こういうことをブログなり講演会なり、ラジオで話をすることに決めたとしよう

 

わたしは大文字焼きの山の名前を知らないから山の名前を確認しよう

いなかっぺ大将にそういう場面があったのか50年前の記憶だからあやふやだ

それも確認しよう

そもそもいなかっぺ大将のストーリーすらよくわかっていない

一体どこで知ることができるんだろうか

 

本当は物心つくかつかないかの時に一度京都に行っているはずで

近鉄ビスタカーに乗った以外何にも記憶にない

今から関係者に聞いたところでわかるはずもない

 

こんな調子で調べ始めてしまい

調べるのは楽しいのだが

段々と本題の方が進まず楽しくなくなってくるのである

 

むしろ

子どものころ楽しかったものって今見ると

違う感覚になっていることが多くて

そうなるととても厄介だ

 

 

わたしはわたしなりに

どうしてこうなったのかを考えすぎて

理由を探しすぎて楽しくなくなっていたようだ

 

 

学術論文を書いているわけじゃない

因果ばっかり追いかけてもそれだけでは説明つかない

 

今の自分がこう思った

それだけでいいじゃないかと

 

 

なると、

京都に行くと

大文字焼きの山を探しちゃうんだよね

子どものころ見たアニメで知ったんだけど

ほんとにあったと感激しちゃって

 

火が入ったのは見たことない

いつか見れたらなーとは思うけど

 

「大」っていう漢字いいよね

書いているとこっちも大きな気持ちになってくる

 

むすこに「大」っていう漢字を使う名前をつけたけど

書くときすごくうれしい気持ちになる

 

 

 

こんな感じで

思いを綴るってのいいなーと思うし

気が楽だ

 

それでいて楽しい

 

 

 

 

この勢いでもう一つ

 

 

D.J.HIROという名前でラジオを始めたのは

いろは通りというところのお祭りでラジオDJをやったことがきっかけ

職場の近くの住宅街で、なんでこの通りだけ名前があるのか

そもそも通りの名前についても標識がないからわからないんだけれど

昔、いろはという名前の牛鍋屋があったことからそうついたらしい

 

そう信じて10年以上、今日そのことについて書いてある本を見つけた

というかたまたま読んでいた本に書いてあった

 

それを読むとこの牛鍋屋を始めた人って江戸から明治にかけての人で

薩摩藩の関係者だったらしい

へーっと思ったのはわたしが職場は薩摩藩の大名屋敷の跡地だったところで

こんなところにご縁を感じてしまった

 

というおもしろかった一日だった

 

 

 

当たり前がありがたくないと思えば 満たされない気持ちになるのは自分だし

2月の中頃くらいに

レオの散歩で公園に行くことができるようになった

 

それまでも行こうと思えば行けたろうが

その後ひっくり返ってしまうから行けなかったのだ

 

今は、一日のうちこのイベントに向けて調整する

事前や事後に昼寝の時間を確保したり

連続して作業を入れないということだ*1

 

 

 

休日は公園に人が集まって遊びにくいが連休のせいかいつもの平日のように空いていた

 

あたりまえであることがどんなにありがたいか

と、よく聞かれる言葉だが

喉元過ぎればの言葉のように

どれくらいその言葉を保つことができるだろう

 

 

わたしはコロナとその後遺症で半年間、公園に行くことができなかった

ちょうど行けるようになって3ヶ月が過ぎようとしている

今でも、公園に来られてありがたいなーと心の底から思う

 

一度ならず、二度大きな病気をしているからだろうなと思った

 

それでもいいなと思っている

当たり前がありがたくないと思えば

満たされない気持ちになるのは自分だし

*1:帰宅後洗濯物を取り込んだり、雨戸を閉めたりなどをしないということ

外国のことを学ぶと日本をより深く学ぶことになる典型的なパターンである

ゴールデンウィークで

驚いたことに人の動きが起きている

「マスクして動いていい」という示し合わせがあったのだろうか

わたしは完全に乗り遅れている

 

もとよりわたしは後遺症で動くに動けないのだが

それで世の中をキャッチアップできていなかったのだろうか

 

とは言え本当に感染のリスクが落ち着いたのだろうか?

どうもわたしの目の前の現実は違うようにも思える

 

 

ここ二日でこの本を読んだ

 

京都、パリ NHKの歴史、文学で知ったお二方

おもろしかったので

これについては二度三度読んで深掘りしたい

本は図書館で借りたので

別途勉強用に入手する予定である

 

 

元々はパリについて知りたかったのだが

いきなりパリを勉強してもなーと思って

京都というワンクッションを入れた

 

日本の都市で地名を言われて

想像がつくのが札幌、東京、横浜、京都だ

 

名古屋、大阪はちんぷんかんぷん

ここ5、6年で何度も訪れた福岡もまだ頭の中に入っていない

 

 

 

 

 

 

 

そこで今日の話題に出したいのが東京

わたしは東京生まれで

人生の半分以上を、ついこの前までは7割を東京で過ごした

 

東京を離れようと思ったのは2015年

移住先を探すかたわら東京の街も思い出に歩き

もう知らないところはないとは言えないものの

思い残すことはないくらいまで歩いた

 

 

と思っていたところに

都内に引っ越したいからと

先日知人からアドバイスを求められたものの

海外在住で都内に仕事に来ている方より

自分がわかっていなかったことに衝撃を受けており

 

この本でパリと京都の対比

時には東京も加わって

といった記述を読んでいくと

やっぱり東京のことわかっていなかったと

冷や汗をかく思いになった

 

わかっていない一つの理由は

歴史的視点に欠けていたこと

 

それにも関係するが

地理的な把握が荒っぽかったことだ

今思えば山の手と下町くらいに一括りしていたんじゃないかと

そこまでではないがそれでも思い上がっていた自分が恥ずかしい

 

この先も予定通りパリを勉強するつもりでいるが

京都・東京と見返すことになってより知識が深くなることだろう

外国のことを学ぶと日本をより深く学ぶことになる典型的なパターンである

 

そこに学ぶことに対するモチベーションも湧いてくる

前日のバブル景気破綻についての投稿

 

すごく単純な形で少し考えて

「バブルの状態が金融工学によって倒された」という構図にして

その金融工学については日本ではわからなくて手の打ちようがなかった

という話にしたとする

 

番組ではそこから、こういうことを言いたいのかな?

「自分の能力を超えたところで物事が決まってしまった」

 

 

だったらどう対策したらよいのだろう

 

 

その後たまたま社会福祉の本を読んでいたのだが

どこまでが自己責任なのかという歴史の流れについて書かれていた

 

 

日本では株式市場を立ち上げて活況をきわめていましたが

適切なコントロールがはたらかず

そこを狙って、当時は気付きもしなかったルールで

急激な変化が起こりました

その結果が実態を表しているのかどうかわかりませんが

こうしたことに対して防衛策が取られなかったのは誰の責任で

誰がそれを補償して、今後どう対策を立てたらいいのでしょう

 

バブルにいるとそれはわからないというのは言われる通りだけれど

(言ったところで、相手にもされない)

これが組織での決定となってしまったら

間違っていることを進めざるをえないというわけか

 

 

自分にやるやらないの選択肢があるのならまだしも選択肢がない状態で

そこに追い込まれてしまって結局は失敗した時というのは

誰の責任なんじゃい

と思わずにはいられない

 

Xマーケット

A経営者

B中間管理職

C一般従業員

 

それぞれどのように感じていたのかを聞いてみたくなるのは

そういう仕事を長年していたせいなのかもしれない

 

今回の場合は

外資の証券会社の動きについてこう書かれている

相手はウォール街だった。バブル崩壊を虎視たんたんと狙っていたアメリカの証券各社は激しい「売り」を浴びせていた。

 

結果として対抗できないことが理解していないという説明になっているけれど

こういう動きを誰もが知らなかったとは思えず

その声がかき消されたと思うので

それがもの言えぬ組織なのか風潮なのか仕組みなのか

 

そしてわたしの人生で見てきた顛末と比較しても

だいたい似たような状況になるようにも思えるし

そう見えてしまう自分の傾向なのかもしれないし

 

それにしても興味は尽きない

そこに学ぶことに対するモチベーションも湧いてくる

バブルの不夜城となった世界というかエネルギーはどこへ消えたのだろうか

前日の投稿でたまたま「バブル」について書いた

 

バブルとは1980年代後半から90年代初期の頃のどこかで

羽振りがよかった時期、バブル景気のことである

 

わたしはバブル景気の感覚はよくわからないと書いた

その時期は大学生であり

しかもつくばで暮らしていたせいもあったのだろう

 

当時覚えている違和感というのは

滅多にいかない東京のホームセンターで

日用品である歯磨き粉を10本以上カゴに入れて買い物をしている

家庭を見たことだ

 

「あれは必要で買っているのではなく金余りが起きている」と

そう感じた

 

東京で暮らしていれば

大学生でなければ

もう少し歳が上であれば

 

バブルに沸いた様子というものを

肌で感じられたのかもしれないが

 

 

 

とはいえ、回り回って

なんらかの影響は受けていると

それだけは当時から

考えているのでそれを前提に後半の話を続けていく

 

バブルの頃、成田空港にて

海外に行く先輩を見送りに、この頃は自分も海外に行くなんてゆめゆめ思わず
バスポートを取ったのは社会人になった5年後、実際に海外に行ったのはそれからまた5年後
そんな時代だった

 

バブルが崩壊して不況になり

失われた10年が20年となりまた30年となっている

 

わたしはバブルが崩壊したあたりで社会人になった

つまり氷河期の一期生で景気は元のように回復せず

そのままサラリーマン人生が終わった

 

職場は残業制限、予算削減等々が始まって

そのままであった

 

解せなかったのが

当時流行語、流行歌だった

「24時間働けますか」という言葉

 

不況だったら、お金が入ってこないのでより働かなければいけないのではないか

売れないのだったら売れるためにより考えていかなければならないのではないか

やることがないのなら、やることを見つけるためにより勉強しなければならいないのではないか

 

と、思うのだが

 

あの不夜城となった世界というかエネルギーはどこへ消えたのだろうか

 

残業代が出ないから・・・

というかもしれないが、その時代もすでに

給料は時間当たりで支払うものとは限らないといった概念もあったように思える

少なくとも管理職は残業制ではなかったし

 

 

もう一つ

わたしは理系の研究開発のカテゴリで働いていたのだが

予算の削減で研究が滞ったという話をよく聞かされた

 

それはそれでわかるのだが

では

後々になって

研究成果を評価するときは

そのときは時代によるものの考慮してくれるんだろうか

つまりバブル時期の論文の数は

バブル崩壊後の論文の数を直接比較はできないので

換算する式があるとか

 

 

そんな感じで

たまたまテレビでやっていた

www.nhk.jp

 

をそんなことを感じながら見ていた

 

www.nhk.jp

 

おおまかな話は何度となく聞いていたし知っていたのだが

そんな中で

平均株価40000円、時価総額600兆円をつけたものは

アメリカの金融テクニックによってどれくらい吸い上げられたのだろう

という話は

そういう見方もあるんだとなるほどと思った

 

そう考えた思ったら24時間働いていたものもバブルで

それがどこかへ消えたというわたしの疑問も少し晴れた気がする

 

テレビを見たことで新たな視点と

謎に思っていたものが少し解けたような

そんな感じがした

 

なるほどね、そしてその後に、そして今につながるんだねー

そう思ったのは

ヨーロッパの歴史の本を別途読んでいたので

そこにもつながっていくのだ