週末、友人(年齢は離れているが)から結婚の連絡があり
新居について尋ねたところ
妻の親戚のお寺の近くであることがわかってとても驚いた
妻の親戚なので訪問するときは夫婦でとなるが
結婚して33年余りとなると
その間何度かわたし一人で訪問したことがあった
その時最寄り駅からではなく
ぶらぶらと一駅、また二駅と歩き
その途中に先ほどの友人宅があるのではないかと記憶を掘り起こしてみた
そんな中、心強い味方になったのが
道々撮影した写真である
今日はそんなことを思い出してみよう
わたしの記憶にあるのは
たしか、夏の晴れた日に歩いて
途中、寺カフェっていうところで涼んだ
そして妻に「代わりに行ってきたよ」と伝えて礼を言われたこと
これくらいである
どこから歩いたのか
何時間歩いたとか
景色がどうだったとか
帰りはどうやって帰ったのか
などということは覚えていない
道中、何を飲んだり食べたりしたのかも覚えていない
初めて行くところだったり
珍しいイベントだったりすれば
覚えているだろうが
それでも
こうして覚えているのは
一人で行ったことが
日常とまでは言えない世界だったこと
そして
何駅か歩いたっていう
非日常的な要素が多少はあったからじゃないかと思っている
写真のおかげで
以下のことがわかった
二駅前から歩いていて
所要時間は約3時間
うち1時間以上はカフェで過ごしている
帰りの電車は来たルートとは違う方向へと進んでいったようだ
これを撮影したのは7年前
どんな写真を撮ったかは記憶がなく
撮った写真を見れば確かに撮ったことは覚えている
それより驚いたのが
自分が何に興味を持っていたのかということ
そして
それが
今とあまり変わらないことだ
頭の中身というか
普段何を見て生きているのかがわかってこわい🤗
こういうのも認知というのであれば
新しい「認知行動」とでもいうのだろうか
うなぎ弁当・電車・ライブハウス・虫かご・物理・学習塾
寺社・カフェ・メダカ・ナイター(野球)・一本道・学校・海鮮丼
焼肉・ジュース・自販機
である
どう見ても10歳くらいところから変わっていない
自分が何を見て生きているのか
今回、たまたまやってみておもしろかった
さてさて
友人宅とは残念ながら線路を挟んでおり
しかも1キロ程度離れたところを歩いていたようで
「行ったことあるよ」とは言えなそうである