つくばカウンセラー夫婦の日記

お互いがカウンセラーの小学校の同級生夫婦が日頃考えていること、感じていることを日記形式でつづっています

自分一人だけの世界で やっていてもいいんだけれど 誰かに話そう、伝えようという思いがあるだけで テンションやモチベーションも変わってくるし、その効果は捨て難い

ある出来事がありました A

それでわたしは考えました B

AとBについて書きました C

 

と言った流れでわたしは話をしたり原稿を書いたりしているが

Aの出来事の客観性を確認し写真・録音などの確証を揃えながら

B、Cを進めていく

 

これって研究職・企画職時代の名残りなんだろうか

 

そこまで厳しかったかな?と思ったりもするが

 

 

 

ラジオDJを始めたあたりかな

周囲から

記録として写真を撮っておくこと

それらを発表するといいとすすめられて

それも見栄えのいい写真で

 

つまり

ラジオ放送をしながら

写真も撮って発信するという

どっちがメインなんだかわからないことをずっと続けていた

 

 

不思議なことに

注目度はラジオが大きいんだが

反応は写真の方がたくさんいただけるという状態になり

(要は聞いていないんだよ😅)

 

こうなると

写真のためにラジオをやっているような感じにもなりかねない

 

自分でも

写真の出来栄えを考慮に入れながら

行動してしまうという

 

あれ?なんか違うぞ??

みたいな感じになっていた

 

とはいえ、記録を見返すと

確かに思っていたことと違う現実を見つめることができる

 

そういうメリットはある

勘違いしなくてよかったとか

結構思い込み強かったなとか

 

だんだんと窮屈になってはきていたけれど

 

 

 

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今日ラジオで紹介した、南極の氷の話

 

生きているのは自分だし

自分を動かすのは自分の主観だし

 

勘違いしたり、思い込んだりで困ったならその時修正することにして

 

もっと自分の感性を優先して

そこにフォーカスして行った方が

楽しいことに気がついてきた

 

ただ、それをどうアウトプットしていくかの課題が残る

 

 

でもいいや、実行しちゃおう

ということで

 

その昔、40年前とか30年前?

常磐線の荒川沖-土浦間に

線路から100メートルくらい離れたところにポツンと一棟だけ

三階建てか四階建ての集合住宅があって

真ん中に入り口があって左右に一戸ずつ

屋根にプリマハムの看板があった

 

今では見ることができなくて

あれはどこだったかなと

気にしながら思い出していたんだけれど

 

 

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たぶん、この辺りだったような

目星をつけて行ってみた

 

A ここにこういう建物があったというオフィシャルな記録はまだ探せていない

 あるのはわたしの記憶だけ

 

B 考えたこと・・・と言っても

 わたしはハムが好きじゃないし、なんで建物のことを調べようとしているのか

 そういう理由が自分でもよくわからない

 集合住宅のマニアなんだろうかとも思ったけれどそれほどでもないし

 

 もし教えてくれる人に出会っても、どうお礼を言っていいかわからない

 何か発表するとか、自分の研究対象だということも今のところ予定はない

 

 自分でもなんでそんなこだわるのかがわからない

 

C それでもね

 このことを考えてアウトプットするのがめっちゃ楽しいんだよ

 

 ブログで公開するのは考えてしまうし

 自分だけがみられるブログでもいい思うし*1

 

 (そう、公開するとなると写真や資料の扱いとか悩んじゃうしね)

 

仕事で取り組めば

アウトプットに対する位置付けの説明をしないとならないし

 

SNSやブログで公開するとしたら

外部に発信するだけで気をつかってしまう

 

自分一人だけの世界で

やっていてもいいんだけれど

誰かに話そう、伝えようという思いがあるだけで

テンションやモチベーションも変わってくるし、その効果は捨て難い

 

 

そんな思いが交錯する中

出口を見つけようとしている

*1:今回は事例として上げるために載せました

情報を拾う時間 考える時間 それをどう表していくか それらがこれから変わってく予感がする

早いもので12月

2021年いろいろあり過ぎた

 

昨日書いた話

「生きているではなくて生かされている」*1

 

 

このエピソードはわたしの中で気に入っていて

その時の様子がはっきりと記憶に残っているので

夫婦の間ではよくリピートして話をしている

 

だが

このエピソードの

どこを強調するか・つまり切り口をどうするかで

リピートするときも話が少し変わってくる

それくらい濃い出来事だった

 

元々は

話者の方々の

「生きているのではなく生かされている話」の主題は

感謝して生きようということ伝えたかった

のだろうとわたしは理解しているが

 

感謝して生きようを日々の生活の中で実践するときに

そのまま

感謝していますと口にしていくか

 

あるいは

別の形の行動としてあらわす

 

があり、

 

それは人によって違うし自由だと思うのだが

 

ただ、このことを他人の前で話をし

実践してもらいたいことを伝えようとしているときに

 

聞いている人が

その内容・意図を理解し実践していくかが

話をし伝える目的とするのならば

 

そのままストレートに

「感謝しましょう」と投げかけるのがよいのか

別の形で行動を促すのが良いのか

 

冒頭のエピソードは

伝えたいことが同じなのにアプローチが違っていた

 

そして

 

それは聞き手、話し手のキャラクター

その場の雰囲気・タイミングなどに大きく左右されるから

おもしろいなーと感じている

 

それがわたしの言いたかったことなのである

 

 

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久しぶりに通った道で変わらないなーと思ったけれど、あれ草刈りがされていると気がついた

 

 

コロナをくらって100日あまり

ブレインフォグのような状態が現れるなかで

少しでも考えを進めようとしているが

 

以前のうつ病闘病中をA

断薬となり回復していった時期をB(ついこの前ね)

現在をCとするでしょ

 

Bから見たAのアウトプットって

なんだこれはという感じ

 

なので

Cのアウトプットもやがてそう見るのだろうかと思うと

貴重な資料でいいじゃないかと思うものの

複雑である

 

今感じているのは

これまでの取り組みやアプローチって

これからは違う感覚

変えたい、変えようとする感覚

 

 

それは

今までちょっと細か過ぎんだんじゃない??

と思うようになった

 

そういう違和感を覚えるようになった

 

どうしてこう思うのかとか

何がそう思わせるのかを考えているところだが

そういうアプローチ自体が細かすぎるんじゃないかと思うわけで

 

 

情報を拾う時間

考える時間

それをどう表していくか

 

 

それらがこれから変わってく予感がする

 

「生かされている」と 真正面に考えることと そして 笑いの中で考えること

「生きているんじゃなくて、生かされている」

よく聞く言葉だし、頭の中では理解していても

こう毎日に追われてなんとかしなきゃという日々を送っていたら

やっぱり生きているっていう感覚だよ

 

この言葉を聞いて印象に残っているのは(初めて聞いた言葉じゃないし)

17年前のお寺での一場面だった

 

ご住職の前にお話をされた方がこのことをおっしゃったのだが

聴衆の反応はシーンとしてしまって

その後のご住職の話は

笑いに包まれた内容で

同じ話をするにしても対照的だなと思った

(もちろんどっちがいいという話ではない)

 

 

繰り返すがあれから17年

生かされているんだなと考えた方がしっくり来る

2021年だった

 

2021年がそういう年だったのか

わたしがそう感じる歳になったのか

両方だと思うけれど

 

17年前のこの話を思い出す

 

「生かされている」と

真正面に考えることと

そして

笑いの中で考えること

 

前者だと

わたしの場合

苦しくなってしまって

あれこれと心配をしたり

反省したり

そうなってしまうことがある

 

そんなときは

日々の生活の中で

ユーモラスに考えられると

とても気が楽になる

 

 

 

自分の内なる声が 自分に届いているような気がした

日曜はルナと1日家で過ごしました

 

いつもは妻になついているルナも

わたししか家にいないとわかれば部屋に来て

ソファやざぶとんで寝ています

 

 

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独立したむすこが置いていったソファはわたしども夫婦だけでなくレオやルナもお気に入り

 

いつもは

ラジオが流れているわたしの家ですが

ふと音を消してみました

 

なんだか新鮮ですね

外の音・部屋の機械音が耳に入ってくる

 

もっとも

自分の内なる声が

自分に届いているような気がして

 

丸一日音を消して過ごすわけにはいかなかったのですが

心地よかったのでまた明日もこういう時間を作ってみたいと思います

今週末と来週をあらわすカードは「創造性」、アドバイスカードは「ヒーリング」、アロハウハネカードは「ポノ」でした

毎週お届けするタロット

 

今週末と来週をあらわすカードは「創造性」、アドバイスカードは「ヒーリング」、アロハウハネカードは「ポノ」でした

 

 

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今週末と来週をあらわすカードは「創造性」、アドバイスカードは「ヒーリング」、アロハウハネカードは「ポノ」でした

 

anchor.fm

わたしが対応する範疇ではないと思いつつも 反応してしまう性格だからか 休まらない そのストレスの反応で動いてしまうのだろうか

コロナ後遺症で動けないから当たり前なのかもしれないが

1日やることが多すぎて

休んでいなさいと言われても

休めないほど忙しく感じる

 

こういう時は

断捨離の「断」

 

情報を遮断

買い物など入ってくるものを遮断

なんだろうな

 

 

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最近は部屋に来ては寝ている

じっとしていても

身の回りには

たくさんの困った案件が飛んできて

 

それはわたしが対応する範疇ではないと思いつつも

反応してしまう性格だからか

休まらない

 

そのストレスの反応で動いてしまうのだろうか

人は何かに向かって何かをするつもりで進んでいくのだと思うのだが 頭の中に残っているのは違うものだったりするのがおもしろい それがどうしてなのか それを考えていくとますますおもしろい

まとめたり、思い出したり

記憶に残っている

いや

おもしろいと思って自分の記憶に残っているのは

イベントの脇道にそれた

自分以外おもしろくないんじゃと思うことばかり

 

 

昨日たまたま見たつぶやきで

「旅行は見たこともないものに出会って驚く

から

見たいと思っていたものを確認し写真に撮る

に変わった」

みたいなものを見つけて

あー、それじゃないよなと共感した

 

 

子どものころ遠足や運動会の作文で

朝ごはんからの出来事から書く生徒が一定数いたと思うのだが

そちらの方が読んでいるこちらも記憶に残っていたりする

 

 

そっちの方が思い出に残って楽しい

 

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電車の中から写した富士山(スマホの位置情報によれば東海道本線富士-吉原間、さすが富士市)

 

そういうわたしも

かつて業務で工場監査に行ったとき

報告書を書く段になって

何を書いて良いか困ったことがあり*1

編集後記に

訪問途中の出来事や社食のメニューを書いて提出し、

それがそのまま編集されて掲載されてしまい肝を冷やしたことある

 

あれから20年以上が経つが

覚えていることはそのことで

笑い話をするとその出来事になってしまう

 

懐かしいなと思って

会社の場所を確認したところ

今年で閉めてしまわれたそう

 

わたしの中で楽しかった思い出だけが残ったようだ

 

昨日も書いたけれど

これがオンラインの打ち合わせだったらどうなるんだろうか

 

先日もミーティングをオンラインで実施したけれど

本筋の違うところでは

通信が途絶えがちで

「なんだなんだ、どっちだどっちだ」と会話したことくらいか

 

あとはいつもの執務室ではなく

カウンセリングルームで実施したので機材の移動で

何往復かしたことかな

 

これだとあまりそして大しておもしろくない

 

 

人は何かに向かって何かをするつもりで進んでいくのだと思うのだが

 

頭の中に残っているのは違うものだったりするのがおもしろい

 

それがどうしてなのか

 

それを考えていくとますますおもしろい

 

*1:新しい部門(分野)に異動してすぐだったのでほとんどわからなかったため