つくばカウンセラー夫婦の日記

お互いがカウンセラーの小学校の同級生夫婦が日頃考えていること、感じていることを日記形式でつづっています

流行り廃りを繰り返し見ている人生で何を楽しいと思っているんだろうか

毎週ラジオの企画で

古い映画を観てレビュー送っています

今週はニューシネマパラダイス

 

主人公が小学生の頃から初老くらいまでの期間を

幼少の頃過ごしたイタリアのとある村を背景に描いたもので

青年の頃にその村を去るのですが

初老になって戻ってくるという話

 

かぶるものがあるなーと

 

 

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今年のハスは今日で見納めかな

という前に

まず映画というのが

世の中を風靡した期間

それは第二次世界大戦後からテレビが普及するまでの短い間だったということ

わたしはその期間を過ごしているけれど

子どもの頃から映画館が苦手だったので

正直、映画を舞台にした社会というのがよくわからない

 

 

よくわからないものを

中途半端に懐かしいと思ってしまう微妙な立ち位置で

 

正確に言えば

「そういうものが流行ったのだけれど廃れてしまった」

ということになるのだろうか

 

54年も生きていると

流行り廃りは数多く見てきているわけで

結局期間の差はあれ

全てが流行り廃りのカテゴリーに入ってしまうんじゃないかと思う

 

 

となると

わが人生はすべて流行り廃りの中にあり

一貫してあるものは少なく

そういうものを見出して大事にするか

もしくは

流行り廃りを渡り歩く

ということになるんだろうかなーと思う

 

 

そこに冒頭書いた

「かぶるものがある」というのを重ね合わせると

どんな答えになるんだろうか

 

わが人生は虚しかった

ということになりそうだけれど

今を楽しく生きているつもりになっている自分にとっては

それはないと思うので

 

一貫してあるものと

流行り廃りを渡り歩いたものとに

何か

楽しさを最大にするファクターがあるのかな

一つのものの見方にとらわれず、自分なりの見方で自由に考えればいいじゃん

先月の夏休みに

過ごし方の一つとして取り組んだのが読書

 

 

国際線に乗る時に時間つぶしにあれこれ本を持ち込んで

機内で集中できた経験をたまたま思い出し

 

 

今日はそれをまた実行してみました

最近注文して届いた本がこれ

 

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英語の参考書に音楽の本、それから仏教の本に歴史の本

 

 

なんらお互いに関係もなさそうな本と

これらに加えて家ではラジオが鳴っていて

まさに機内のような状態に

 

 

少し読んで考えたら次の本に移りまた考える

全くお互いが関係ないわけじゃなくて

自分というものが関わることでそこに関係を見出し

また

そこに自分というものがどんなものであるかということがわかってくる

 

 

素晴らしい時間じゃないですか

 

 

 

 

 

今回、そこにネットからの情報も入ってきて

たまたま開いて読んだページには

「学習塾はブラック」だとある

 

 

そんなシチュエーションでした

 

 

歴史の本や音楽の本なんかを読むと

過去にブラックじゃなかったなかった時代なんてあったんだろうかと思うし

そこに仏教の本でしょ

 

 

まー思い巡らすことは多々出てくるんです

 

 

そりゃね、ラジオDJも学習塾講師も

なるのは大変だけれど

それで食べられるかって言ったら違うよね

 

 

じゃあなんでやっているの?っていうことになるんですが

そこに何かを見つけられないと「ブラック」だっていうことになってしまう

 

 

そんなこと言ったら

科学技術の研究者だってブラックだ!!ってことになるし

 

 

会社を辞めて

早くも3年以上が経っているわたしとしては

 

 

稼いだお金は

家族を養うこと

子どもの教育に惜しみなく使ったから

 

 

だから

いくら稼いだなんていうのは忘れてしまった

 

 

仕事で思い出すのは

いくら稼いだかというより

何を成し得たかということばかり

 

 

東京にいた時は

家賃が高くて

毎月の教育費も半端ない

平日は毎日会社に行って

腰を落ち着けて何かを取り組む余裕もない

 

ただ

何かを成し得た思い出が残る仕事で

かつ

家族が食べていたけのだから

本当にありがたかったと思う

 

 

だから

今取り組んでいることが

ブラックなのかどうなのかわからないけれど

ただやりたいことを楽しんでやれている自分は

幸せだなー

と思った今日でした

 

 

ちなみに

学生時代は

学習塾で食べていけたので

その点は時代が変わったんだなーと思います

わたしにとってはまとめる力が課題なんだろうか?

週末の忙しさを終え

午前中から片付けがんばりました

 

サラリーマンを辞めてから特に強く感じるのですが

とにかく家から出るゴミの量というのは想像以上に多く

なるべく買い物を控えて来たつもりでも

出てくるもので不思議に思います

 

人間が一人生きていくのには

こんなにも

ものが必要なのかと思ってしまいます

 

 

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今朝の曇り空でのハス 手前が二日目

今考えていることは

わたしが若い頃に思っていたのは

持っていることが

アドバンテージと考えていました

 

持っているとは

この場合

お金とか美術品とかではなく

 

文献だったり

楽曲だったりのソフトのこと

 

 

でも

今となっては

入手も楽になり

デジタル化で保管も楽になり

わたしの能力の問題なのか

扱えないくらいの情報を持ってしまっています

 

 

加えて

歳とともに情報管理に衰えが見られ・・・

 

 

情報収集の力というより

まとめていく力なのかな、すなわち編集能力?

そういうのがわたしに求められるのは

歳のせい、時代のせい、そのどちらも??

 

 

悠々自適な生活とはその人次第

今日は日曜日

週末はなかなか会えない友人とLINEで話をしています

 

この自粛な日々で定番化したものじゃないかと思います

 

とは言っても

「自粛」とか「Stay Home」という言葉はひと昔前みたいな感じらしい😵

 

「えーそうなの??」と驚くわたしに

「周囲の人たちは、普通に出かけているみたい」と

 

つくばにいるとよくわからないのですが

どうやら感染に気をつけて

不要不急なことでも出かけているそう

 

 

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今朝のハス 多分今年最後の花が咲きました


こうして

のんびり家で過ごしているのは「悠々自適な生活なんじゃ??」っていう話になりました

 

悠々自適とは

働かなくてもいいくらいの資産を築いてリタイアして

毎日豪遊しているイメージがありますが

 

ネットで調べたところ

言葉の定義としては

 

のんびりと心静かに、思うまま過ごすこと。 ▽「悠悠」はゆったりと落ち着いたさま。 「自適」は自分の思うままに楽しむこと。 「悠悠」は「優遊」「優游」とも書く。*1

 

とあり、何も資産家じゃなくてもよいらしい

 

そんな話で盛り上がりながら

午後の一時を送りました

 

わたしたちの定義はこうでした

 

好きな仕事に無理なく取り組み

休みの日は気ままに自由に

時には自分でご飯を作り

没頭できる趣味がある

今週末と来週をあらわすカードは「根源」アドバイスカードは「過去への執着」アロハウハネカードは「思考」でした

毎週お届けするタロットのコーナー

 

今週末と来週をあらわすカードは「根源」アドバイスカードは「過去への執着」アロハウハネカードは「思考」でした

 

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今週末と来週をあらわすカードは「根源」アドバイスカードは「過去への執着」アロハウハネカードは「思考」でした

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できること、好きなこと、したいこと のどれかに触れていたら きっときっといつかは自分の役に立つ

つくばに戻ってきたからというもの

一人で家にいると

急にものすごく不安だったり恐怖を伴う気持ちになります

 

原因はある程度はわかっているのです

 

それを振り切るために

仕事をしている

そう言っても過言ではありません

 

でもさ

それを忘れるために仕事するっておかしいと

自分でも思っているし

 

どうして

自分が恐怖心を感じなくてはならないのか

そういう気持ちにもなります

 

先が見通せない世界

なんで見通せないのかって

それは先を行く人たちの負の遺産を押し付けられているからじゃ?

 

 

 

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今朝また新しい花が咲きました

詳しいことは後日発表されるそうですが

www.unicef.or.jp

https://www.unicef.or.jp/jcu-cms/media-contents/2020/09/UNICEF-RC16_JPN.pdf

 

子どもの幸福度が低いっていうのは

上から押し付けられたものが重いからって

わたしは考えるな

 

何かをすればあれこれといい

気に入らなければ攻撃する

そして自分の不始末を人のせい

 

もっとも

これらを自分に向けられたものだと思って

抱えてしまう自分に問題があることは

闘病生活を通じて向き合ってきたのですが

 

この夏も調子を崩し

なんとか持ち上がってきたその過程で

ふと気がついたことは

「やりたくない」と意思表示が

相手に対しても自分に対してもできてきていること

 

 

そして

昨日・今日と感じたのは

やらなきゃならないことを片付けてからやりたいことをする自分ではなくて

もっとやりたいことにフォーカスしていっている自分

 

先日ほしいものって書いたと思うんですが

それを買うと部屋が狭くなるから

じゃあいらないものを捨てよう

 

そうなっている自分って

自分ですごいなーって思うんです

そうなると時間の使い方も変わってきた

時間の使い方が変わってきたら

お金の使い方も

そして対人関係もまた変わってきた

 

今やろうと思っていることが何もできなくても大丈夫

 

なぜか?

 

今人前でしゃべりの仕事をしているわたしの話のネタは

休職して家でゴロゴロ

街でブラブラした時の話がほとんどだから

 

だから

できること、好きなこと、したいこと

のどれかに触れていたら

きっときっといつかは自分の役に立つ

 

「できること、好きなこと、したいこと」っておっしゃったのは

主治医の先生

 

今、そうだよなーと思う

そんな金曜日でした

 

限られた時間をともに走れるから、子どもさんたちと一緒に勉強していて楽しいと思うのです

何人もの生徒さんの学習をサポートしています

わたしは学習カウンセラーとして

「何を」・「どこまで」・「どうやって」という情報提供をしています

 

もちろん

その情報提供が生徒さんにミートしているかどうかを確認するために

実際に課題なりをやってみせ、やらせてみせてをすることを心がけています

 

 

これからの時代の「学び方」・「働き方」・「生き方」

「何を」・「どこまで」・「どうやって」

を掛け合わせると

いくつもの組み合わせが出てきて

 

そうなるとそれらを両立させることができるのも

年齢から言ってそろそろきびしくなってきました

 

 

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台風の影響で昨日・今日と不安定な天候だったけれど夕方は晴れて気持ちよかったね、ママもTwitterに投稿していたけれどそっぽ向いています

 

そういう時は

悲しくもあり、悔しくもありですが

 

バスケットやサッカー

いやいや

かけっこだって

もう全盛期から程遠くなっているので

 

 

工夫していくより

ほか道はなさそうかな

 

そうなった時に

わたしはどんな生き方をしていくんだろうか

 

それを想像しながら

今日は昼寝を楽しみました

 

昼寝??

そりゃあ

休み休みやらないと働けないです

 

 

それでも

何かを仕上げようと取り組む先には

生徒さんの課題が迫っているから

 

つまり授業の準備です

 

準備をせずに知っている知識だけで乗り切ることも

この道35年やっていれば可能でしょう

 

でもそれをやってしまうと

わたしは新たに学ばなくなる気がしています

 

人それぞれだとは思いますが

目の前の課題があるのとないのとでは

やっぱり意気込みは違いますよね

 

 

若い頃は受験が目標だったけれど

だんだんと自分が設定した目標に向けて進んでいく

ただ自分が設定した目標だけだと

やはり目標自体を妥協してしまう可能性がある

 

子どもと一緒に勉強する

わたしにとってのメリットは

限られた時間を一緒に走ることによって

わたし自身が多くを学ぶことができる

そんなところでしょうか