今日は昼ごはんの時の夫婦の会話で話題に出たのが
題名の「外出できないストレスと外出するストレス」でした
わたし闘病生活の記憶をたどると
特に仕事を休んでいたときですが
「一日一回でもいいから外に出ないと」と意識づけていた
そんな記憶があります
でも妻は違うことを言いました
「外に出られないからストレスだ」とわたしは言っていたそうです
病気の頃の記憶(感情)というものは
あまり覚えていない上
それが何年も続いたわけですから
時には「外出できないストレス」も感じたろうし
時には「外出するストレス」も感じたことでしょう
でも今日テーブルでこの話題になったのは
ストレスを感じていると言っても
それがどこだかはなかなかわからないなー
という話から始まりました
闘病生活時代の思い出の話で
外出がしんどかった時があって
それがしんど過ぎて入院になっちゃったんです
で、今度は外に出たくて
でも出たところで何がしたかったんだ???
みたいになっちゃって
ドクターの先生方に
「どのみち、病院にいても変わらないし、治ったと思いますからもう大丈夫です」
とまで言ってしまったことがあります
それはもう現場は大騒ぎですよね
妻もどうしたものかと思ったに違いありません
病院の中でわたしに言った言葉
「治った治らないとかじゃなくて
せっかくの機会だから、何がストレスか先生に見てもらってこれから考えようよ
それだけでも意味のあることだよ」
これは忘れないですね
そしてドタバタの混乱の中でのこの言葉
それからわたしは「何がストレス」について自分なりに深く考えるようになりました
ストレスだと思っていたことを掘り下げていくと
実はそれではないことがわかり
これはドクターの力も借りて進めているのでしょうけれど
わたしにとっては
自分で自分を探していくような旅
自分のことは自分では
なかなか見えにくかったり
見たくなかったりするけれど
他人から指摘されたところで
納得して行動に変えていくのは自分だから
やっぱり自分で慎重に探していくしかない
そんな話をした今日のご飯タイムでした