昨日、高校の先輩から届いたLINEから
音楽との出会いを書きました
今日は
高校のクラスで作っているグループLINEの話をします
午前中
友人の一人からグループに投稿がありました
4年前に開催した泊まりがけの同窓会の写真が
お知らせで上がってきて
あれから4年経ったんだと言うことと
幹事を担当したわたしにもお礼の言葉まで添えてありました
うれしいものです
わたしが生涯で胸を張って言えることは
卒業以来高校のクラス会幹事をずっと続けていること
こうして大切にしたい友達に囲まれている人生って
なんて幸せなんだろうと思います
言っていることわかりますか?
わたしが幹事をしていると言うより
素晴らしい友人たちに囲ませているから
幹事ができる、幹事をさせていただけるのです
なので
こう言う場が他にもできるよう
そんな思いが
場づくりに興味を持ち
関わった理由なのでしょう
「やってよかった、出会ってよかった、関わってよかった」
それは
わたしが大切にしている原点にあるものです
わたしは依頼を受け
中高生向けに話する機会があります
「先生の高校時代の話を聞きたい」とのことですが
年齢差40歳くらい
その数字を考えちゃうとわたし自身が悩んじゃうのですが
反応を見ている限り受けているし
わたしも楽しいので
話の構成を組み立てるのは心の支えになっています
今日もレオの散歩をしながら
思い出して・考えました
高校一年生の時って
人生にどれくらいのインパクトがあるのだろう
と言うか
高校生になって
超進学校に入ったものの
今までのように勉強は進まないし
何をやっても周りがすごすぎて
中学のようにいかない現実
頑張ろうにも何に頑張ればよいかわからないし
一点に賭ける覚悟もない中途半端な状態だったと思うんです
それでも今
振り返ると輝いているのはなぜ??
病気の時も同じこと
わたし通算でそれこそ何年も仕事を休んでいて
思い通り身体が動かない、動かせない時間が続いたんです
それも
今となっては大切な時間だったんだと思えるようになった
それは
あのときの時間が今に活きているからなのかな
今日の散歩で
公園に着いたとき
そんなことを思いました
決して成績がよかったわけじゃないけれど
高校時代に感動した
原子構造への思いが
紆余曲折を経てその後の専門になったし
そうだ
今日録画していた(放送はずいぶん前)
最後の講義の「村山斉」先生の言葉
よっぽど興味のあることじゃないとという話*1
それは
わたしが心がけている
「やってよかった、出会ってよかった、関わってよかった」
の場で
見出して行くこと
これが同時に存在しないとなのでしょうね
*1:正確には 本当に興奮することでないと成功しない でした