高校2年の今くらいの時のことでした
授業中、計算用紙に落書きのつもりで
新聞記事を書いたのを見た友人が
「エッセイスト」になったらいいんじゃないかと
大学の時に
緊張する新人先生を驚かせようと書いた黒板の落書きを見て
また別の友人が
物を書いている姿が一番楽しそうと
わたしはわたしなりに
その時叶えたい進路があったので
たとえそのような才能があったとしても
それは趣味で取り組めばいいと思っていました
さて
ちょうど10年前のこと
病気になって8年目
これだけ長患いしていたら
もうあきらめとか投げやりみたいな感じになっていた時
わたしが死んだら
わたしはこういうやつだった
みたいな
それこそ
自画像みたいな文章を
年の離れた若い友人に読んでもらい
おもしろいと言われたこと
これがラジオD.J.をやってみようと思ったきっかけです
あの頃
病気のせいもあって
とにかく人前で話をしたり
人に見せる文を書いたりすることに
躊躇していて
職場でもものすごく気を使ってもらっていたのです
それを
後押ししてくれたのは友達ではないけれど
上司の方々
あの頃
本当に身体が重くてつらくて
一日がしんどくて
顔の見えない
ラジオで話をしている時
も含め
ラジオで話をするんだと
ネタを考えている時
時が経つのを忘れられた
朝から1日が重くて
夜の薬まで1日持ちこたえられれば
1日が終わり眠れる
1日・1日生きていれば
お金も入って家族が生きていける
そんな1日を早送りするためには
どうしたらいいかを考えるような毎日
書いていれば
気がまぎれていたのと
伝えたい思い
残したい言葉というのがあって
それを拾ってもらいたい
というのがあったんだと思う
今こうして
話をする場を設ければ聞きに来てくれる人がいるし
今日もラジオに参加して
DJさんが笑ってくれて
自分が書いたことが
よい形で拾ってくれて
広がっていくのを見て
ああよかったな
と
そして
書くことを勧めてくれた
たくさんの周りの方からの言葉に
あらためて
ありがたいなと思った日でした
5年くらい前に
エッセイの勉強をして
ゆっくり身体がなじんだころなのかな
最近手に取った奈良のエッセイ集を読んで
また
書いてみたいなと思いました
何より
一番書くことを勧めてくれたのは妻ですから