つくばカウンセラー夫婦の日記

お互いがカウンセラーの小学校の同級生夫婦が日頃考えていること、感じていることを日記形式でつづっています

楽しみとしては今を起点として 過去の考えを見直し 勉強したことを活かして 新たに考えていくことだろう

12年もの長い闘病生活で

家にいることが当然多かったわたしは家族と過ごす時間が

より多くなった

 

それまでも悪い関係ではなかったと思っているし

対話が多い家庭だと思っていたのだが

父親のわたしが勉強してきたこと、取り組んできたことは

なかなか伝わっていないことに驚いた

 

家族でそうなのだから

周囲に対しても同様である

(わたしの仕事の特性上、主だった成果は公開されるのだが、それでもである)

 

つまり

相手にどう写っているかは、こちらからは想像つかないほどだった

 

そんな現実を目の当たりにして

人間は相手の一部を勝手に切り取って都合よく解釈するものだと

つくづく思ったし

 

そう思っている自分も相手に対して同様のことをしていたのだし

そして

じゃあ、相手を正しく理解できるのかと言われると

自分自身を知ることさえ難しいのにとなってしまう

 

だからと言って

自分のことをわかってもらいたいと

人をたずねていくのも違うだろうと

ここに矛盾しているように思いながらも

次の自分探しが始まるのである

 

そうなると

歴史上の人物に対する思いも

そりゃ変わってくるわけだよな

 

好きな歴史上の人物と聞かれても答えに困ってきたわけなので

盲目的に誰かを信じることはないものの

興味ある人物はいるわけで

ただ、その興味というものがどこから来たものなのか

それを考えると随分と偏った情報に振り回されたなと

思うのである

 

 

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最近のテレビを見て読んでみようと思った

幕末の話は

歴史の勉強の中でも

おもしろいところであるが

 

特に「薩長同盟」のあたりは

子どもの頃見た歴史ドラマの影響が興味のきっかけであった

 

興味を持ったきっかけであることはありがたいことであるが

同時に

そのドラマで見た、見てしまった印象が

何らかの形で自分の中にインプットされてしまい

そこで歴史の勉強が止まってしまったのではないかと

最近になって気がついた

 

例えば「薩長同盟」であれば

「薩摩」・「長州」・「土佐」と出てくれば

ドラマの影響で

「長州」に知らず知らずに肩入れしていたんじゃないかという話

 

そう思ったのは

今週

「薩摩」の視点で描かれたドラマを見ていたら

今度は薩摩びいきになって来たからだという(笑)

 

すべてはおのれの視野の狭さ、勉強不足が原因だとは思うが

わが人生はこんな調子で

好みを打ち出してというか、選択して来てしまったんだろうなと思うと

なんとも情けない

 

楽しみとしては今を起点として

過去の考えを見直し

勉強したことを活かして

新たに考えていくことだろう

 

そうすると

新たな人物像も見えてくるはず

 

自分自身はどうなるかって?

それも並行して考えないといけないね