堅苦しい表現になっていたので
何度も読まないと頭に入ってくる気がしない
ノスタルジーに関する想いは
わたしは小学校低学年ですでにそれを感じていたし
以来
郷愁の想いに惹かれての街歩きは
小学校高学年の頃には実践を始めている
今思うと
その郷愁は親から来ていると思うのだが
この歳になると
今感じる郷愁は
「親」の世代ではなくさらにさらに過去に遡っての
影響から来ている感じがする
具体的には
わたしの両親の出身は北海道と横浜であるが
それは親の出身であり
さらに遡ると加賀と肥前の国となる
親世代がそれぞれ出身の場所で過ごした時間は数十年であり
わたしはもうそれ以上の時間を自分の人生で過ごしているわけだから
影響を受ける割合もだんだんと小さくなってきていて
一方で加賀や肥前と呼ばれた地を訪れると今まで感じたことのないような
郷愁の想いが沸き上がる
以上がここ数年感じて考えたことである
そこに加えて
今まで自分がしてきた選択の背景に
親からの影響を知らず知らずに当たり前のように受けたことが
隠れていたのだろう
「彼の地は寒いから嫌だ」と言った発言を聞けば
「彼の地=寒い」
「寒い=嫌なこと」
とわたしの中に入っていく
となると、場所について選択する場面が出てきたら寒い場所は外す
と言ったことをほぼ無意識にやっていたんだろうなー
おもしろいと言えばおもしろいし
その無意識でやっていたことをこれから外していけば
またどんな選択をするのか楽しみである
当時は閑散としていたのだが
やがて人気が出てきて
ブームが去った今は落ち着いた感じ
当時もこのくらいの賑わいだったのだろうかと思う
いやー
そんな大々的なことではないよ
例えば今日スーパーでチョコレートを買うとするでしょ
さて何を選ぶか
メーカーで選ぶなら
ロッテ、明治、森永、、、、
たいていわたしはロッテを手に取るが理由はというと
子どもの頃カタカナがカッコいいと思ったからの流れである
好きなチョコの銘柄は、
となると、
小学校の頃の遠足で買うか悩んだものを選ぶね
と言った具合でおもしろい
他県にいる友人宅の近くで
わたしが主宰しているのと似た名前の塾がある
それはどうでもいい話だが
その宣伝に〇〇高校合格何名と銘打った
よくある看板があるのだが*3
他県のわたしにはその価値がわからない*4
でも
同じようにわたしが
価値があると思って宣伝していることも
当然ながら響かない人には響かないのである
では
なぜわたしが価値があると思ったのであろうか???
そこで
「どうしてそう思ったの?」と自問自答が始まる
自分の判断基準は
過去の一体どこからきているのだろうか?
それを考え抜くのはおもしろい