つくばカウンセラー夫婦の日記

お互いがカウンセラーの小学校の同級生夫婦が日頃考えていること、感じていることを日記形式でつづっています

いずれはなくなる学校でしたので なくなる前に来なかったあなたには先見の明がありました ってことか

定期購読している教育の専門紙に

不登校増加の原因」についての対談記事が掲載されていて読んで驚いた

 

「学校が高度成長期の時代のままの教育をしていることが要因」

だからだそう

 

そんなのわたしの時代からの問題である

 

 

学校が本当に昔のままだからなのか

他に指摘することがないのか

本当のところがよくわからないが

 

不登校の原因が

この対談の通りであるとしたら

(わたしが小中学校に行っていたのが40年以上前だから)

この先も変わらないよね

 

 

どうなればいいのかも示さないまま

変わらなくてはと連呼している大人

変わるのはそう言っているあなただと指摘しても

どこ吹く風でそのポジションに居座り続けるまま

だとしたら

オルタナティブ(代案)の登場を待つよりないのだろう

 

 

とはいえ

それを待っていたら

学生だったら、修業年限はとっくに終わっちまう

 

 

同様に

これは会社でも同じ

というか人生でも同じことかもしれん

 

 

きちんとした仕組みができるのを待っていても

それは想像以上に時間のかかることを覚悟して

それでも待つか

 

あるいは

別の方法を見つけていくよりほかないのかなと

自分の反省を含めてあらためて思う

 

 

 

 

最近、居場所について語ることがあり

またインタビューを受ける機会も復活してきた

 

 

居場所や職場も

学校よりも公式的ではないのだが

ここもまた時の流れとともに

雰囲気が堅苦しくなる厄介なものである

 

公式的でない分

違うなーと思ったら

居場所を変わってしまうこともできるので

不登校」みたいな語り口とはならないと思うのだ

 

 

話をする内容としては

 

結局のところ人間はしばり、しばられてしまいがちなものであり

そこからどう生きていくか

もう少し個人に焦点を当てて考えていったら、というもの

 

そんなことをここ4年、ちょうどつくばに戻ってきてから

発信している

 

 

さてさて職場はなくなっても

学校は残るだろうと思っていたのだが

わたしにもそういうことが起きた

 

いくつか通った学校のうち

最も思い入れの薄いところではあったが

知らぬ間に閉校していた

 

通い始めた頃は

違う文化が物珍しくて楽しかったが

慣れてしまうと

あまりに凡庸な学校でだんだんと飽きてきて窮屈になった

 

明文化されていない規則も多く

それにしたがって

一部だけど行動した思い出はそれなりに残っているので

あれはなんだったんだろうなと思う

 

子どものためだというのだったら

それはわたしには当てはまらないし

学校のためだというのなら

その結果無くなっちゃったんですけどどういうことなんですか?

とも思うし

 

もう覚えている人もいないから

こういうことを言ってもしょうがないんだけれど

結局残らない、残そうとしない学校って何をしていたんだろうと思うし*1

そこにそこに通わなかったことで

不登校というのもね

 

 

いずれはなくなる学校でしたので

なくなる前に来なかったあなたには先見の明がありました

ってことか

 

 

この社会を見て歩くのは

つくづくおもしろい

*1:ネットで調べたけれど校歌すら見つかんないんだよね