つくばカウンセラー夫婦の日記

お互いがカウンセラーの小学校の同級生夫婦が日頃考えていること、感じていることを日記形式でつづっています

情報を拾う時間 考える時間 それをどう表していくか それらがこれから変わってく予感がする

早いもので12月

2021年いろいろあり過ぎた

 

昨日書いた話

「生きているではなくて生かされている」*1

 

 

このエピソードはわたしの中で気に入っていて

その時の様子がはっきりと記憶に残っているので

夫婦の間ではよくリピートして話をしている

 

だが

このエピソードの

どこを強調するか・つまり切り口をどうするかで

リピートするときも話が少し変わってくる

それくらい濃い出来事だった

 

元々は

話者の方々の

「生きているのではなく生かされている話」の主題は

感謝して生きようということ伝えたかった

のだろうとわたしは理解しているが

 

感謝して生きようを日々の生活の中で実践するときに

そのまま

感謝していますと口にしていくか

 

あるいは

別の形の行動としてあらわす

 

があり、

 

それは人によって違うし自由だと思うのだが

 

ただ、このことを他人の前で話をし

実践してもらいたいことを伝えようとしているときに

 

聞いている人が

その内容・意図を理解し実践していくかが

話をし伝える目的とするのならば

 

そのままストレートに

「感謝しましょう」と投げかけるのがよいのか

別の形で行動を促すのが良いのか

 

冒頭のエピソードは

伝えたいことが同じなのにアプローチが違っていた

 

そして

 

それは聞き手、話し手のキャラクター

その場の雰囲気・タイミングなどに大きく左右されるから

おもしろいなーと感じている

 

それがわたしの言いたかったことなのである

 

 

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久しぶりに通った道で変わらないなーと思ったけれど、あれ草刈りがされていると気がついた

 

 

コロナをくらって100日あまり

ブレインフォグのような状態が現れるなかで

少しでも考えを進めようとしているが

 

以前のうつ病闘病中をA

断薬となり回復していった時期をB(ついこの前ね)

現在をCとするでしょ

 

Bから見たAのアウトプットって

なんだこれはという感じ

 

なので

Cのアウトプットもやがてそう見るのだろうかと思うと

貴重な資料でいいじゃないかと思うものの

複雑である

 

今感じているのは

これまでの取り組みやアプローチって

これからは違う感覚

変えたい、変えようとする感覚

 

 

それは

今までちょっと細か過ぎんだんじゃない??

と思うようになった

 

そういう違和感を覚えるようになった

 

どうしてこう思うのかとか

何がそう思わせるのかを考えているところだが

そういうアプローチ自体が細かすぎるんじゃないかと思うわけで

 

 

情報を拾う時間

考える時間

それをどう表していくか

 

 

それらがこれから変わってく予感がする