つくばカウンセラー夫婦の日記

お互いがカウンセラーの小学校の同級生夫婦が日頃考えていること、感じていることを日記形式でつづっています

まずはわたしのこと、そして周りに集まってくださる人たちのこと、そしてそこから少しずつ、今年もそして来年もまた

昨日は

「今年見た映画の中で(新旧問わず)一番の作品をレビューする」

といったお題にどうしようかと思っていることについて投稿した

 

仕事の環境によっては以下のプロセスでレビューおこなう

・見た作品をリストアップする

・評価項目と基準を定義する

・点数化する

・点数化したものの中で極端な評価点数のものを調整する

 

こうして選び出したもの中からランキングをつける

 

そうやって手間暇かけたにも関わらず

忖度や外部から意見を反映する

 

公平でかつ評価に対して説明責任を果たせるプロセスだと

言われていたが

わたしにとっては(経験上)苦労した割には

自分でも疑問に思う結果になったことは何度もある

(評価設定が未熟だったということだ)

 

 

そんなこともあって

映画レビューは上記のプロセスは吹っ飛ばして

直感的にやってしまって

その結果はそれでよかったんだが

Evidence-based的にはどうだったんですか??

みたいな話もあり悩む*1

 

 

 

証拠にもとづく判断は大事なんだけれどやってみると

そこにはまた新たな問題があって

それで具合が悪くなったわが身としては(もう20年以上前から言われているんだよ〜)

世の中の変化・流れはその通りなんだけれど

データふんだんにあるものの

使いこなせていない身の回りの状況を見ては

自分の時代には無理だなー(出た、とうとうわたしも逃げ切り老害を口にするように💦)

とか

直感こそが大切(結局考えていない)

とか思ってしまう

 

 

まあね、さんざん10年以上悩んで

打開策だと賭けた世界は直感に頼ろうだったから

あながち間違いじゃないんだろうけれど

 

目の前に見えることならまだしも

直感的なものは大きな対象だと難しいのかなーと思っているのが

今のわたしが持っている感覚

 

つまりは

「ローカルな対象であれば解決策は見出せそう」

確かにそれはこの数年のアクティビティや結果をふりかえっても

そうだったなと思っている

 

 

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今年の印象に残っている一枚、理想の蓮の形になった

 

 

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モウ一枚

 

昨日の映画は

わたしが選んだ作品と

司会のDJさんが選んだ作品が一致

 

一致の理由はそれぞれだろうけど

一致したから何かがある(あった)わけじゃないけど

わたしも妻もびっくりしてそして喜んだ

 

 

ただ喜んだだけなんだけれど

それでよかった

その時間を感じられたこと

お互いそれを共有できたこと

 

これも超ローカルな出来事だったんだけれど

それでよかったんじゃないかと思う

 

 

 

 

わたしは今年も毎回休むことなくラジオに映画レビューを送った

これはわたしの楽しみで、番組で取り上げてくれると

わたしが楽しいから続けてきたことである

 

コロナ感染で自宅待機となっていたとき

もう入院しないと危ない状況になりながらも

自宅待機を続けるしかない状況になり

それでもオンエア当日どうなるかわからないので

前倒しで前日・前々日に原稿を送っていた

 

感染といつ入院するかわからない状況を発表したとき

たくさんのリスナーさんから

わたしの映画レビューはどうなっちゃうの?

楽しみにしているのに

というメッセージをいただいてホントにびっくりし

そしてうれしかった

 

わたしだって一リスナーなんで

まさか投稿したわたしの作品を楽しみにしている方が

放送関係者以外にいらっしゃるとは思わなかった

 

わたしはそこまで考えていなかったので

うれしい誤算だったともに

この感覚がいいんじゃないかと思ったのである

 

 

 

 

 

*1:しかもテレビを見ていると若手からEBPMのリテラシーを上げてと突き上げられている世代らしい