つくばカウンセラー夫婦の日記

お互いがカウンセラーの小学校の同級生夫婦が日頃考えていること、感じていることを日記形式でつづっています

生きているわたしはわたし自身の歴史をどうふりかえり 誰と共有したいのだろうか

妻が輸入食材の店で見つけて買ってきてくれた

この紅茶は幼少の頃からなじみはあるものの

確かに飲んだ記憶もあるものの

味を知ったのはごく最近である*1

 

 

なんで覚えているかはいくつか理由があるが

一番大きいのはこの缶に捕まえたメダカを入れていたこと*2

だから懐かしく、そして缶にこだわって探していた理由だ

 

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念願の缶、缶じゃなければダメな理由はというと・・・

まだ幼稚園生だったと思う

父と祖父に連れられて

電車に乗って遠くまで出かけた

その出かけた先に小さな林があり

林と道の間に浅い水たまりがあってそこでメダカを捕まえた思い出がある

 

なんでその場所にいくことになったのかは

わたしに知らさせれることもなく

おそらくはここに家を買うからということだったと思うのだが

なんでわざわざこの場所を選んだのか

今から思うと謎が多く

さらにあらためてよくよく考えるとさらにわからなくなる

 

歴史やまちづくりについてのテレビ番組を見ていると

学者の方や博物館の方が諸説を述べられている

 

伺っていると誰もがなるほどなという理由に落ち着いていて

本当のところはよくわからないけれど

そういうことなんだなと思ってしまう

 

本人に聞くこともできないし

聞けたところでわかる気もしないし

そんな中で

新たな資料が出てきて覆ることは承知で

過去をふりかえるのだろう

 

一方でわたし自身のことをふりかえると

なんでここに住んでいるんですかと言われれば

いくつか理由を挙げることはできるが

時間とともに理由が変わっていくようにも感じる

だから説明できない真実があるような気がしているのだ

 

さらに

住む理由は仕事や学校とリンクしているから

なぜその仕事や学校を選んだんですか?と言われると

同様に〇〇だったからと答えてきたものの

もっと大きい当時は見えなかったような理由で動いていたのではと思ってしまう

 

どうだろう

後世の人から見て作られる歴史の選択と

自分が思っている歴史の選択

 

ここにギャップが生じていてもいいのか生じない方がいいのか

 

生きているわたしはわたし自身の歴史をどうふりかえり

誰と共有したいのだろうか

 

 

さて、メダカをこの紅茶の缶に入れたという話であるが

捕まえたメダカをこれに入れて喜んでいたわけではない

 

メダカを入れる容器を買ってあげるから

捕まえておいでという話からだったと思う

 

「メダカ入れ」と言われたその容器は今でいう飼育ケースのことだと

わたしは想像したのだが

透明な飼育ケースは今ではホームセンターでよく見かけるが

当時はその存在は知っていたものの

どこで売っているかを見つけるのが大変だったのだ

 

だからそれを楽しみにしていたのだが

結局それを買ってはもらえなかったし

捕まえたメダカを持ち帰ったり飼った記憶もない

 

 

おそらくはメダカ入れを夢見て

ウキウキ捕まえた思い出と

買ってもらえず残念に思った思い出と

そして今ではこの缶の方が珍しくなってしまったという話に

見つかってよかったと幸せな気持ちになるのであった

 

 

 

 

 

 

*1:オレンジ味はしないんだーと驚いたくらい

*2:他に入れるものがなかったのでつなぎでこれを選んだ