つくばカウンセラー夫婦の日記

お互いがカウンセラーの小学校の同級生夫婦が日頃考えていること、感じていることを日記形式でつづっています

信じるも信じないもどちらも信仰だとわたしは考えている

いつも拝んでいる神社の縁日だったので

お参りに行ってきた

 

つくばに戻って以来

毎年、縁日にはお参りをさせていただいているのだが

さすがに今回はコロナ後遺症であきらめていたのだが

今月になって歩けるくらいまで回復したので

伺うことができて本当にうれしかった

 

第六波・オミクロン株の猛威で

他人との接触を避けるために

早朝出かける選択をしたのだが

早過ぎてしまい

お札を納めたものの

新しいお札をいただくことはできなかった

 

ここで考えたのだ

お札がなければ神様のお力がいただけないのではないかという考え

お札がなかったとしても神様を拝むことに変わりはないから

変わらずお力をいただけるという考え

 

そもそもお力ってなんだ?

お力があったとしても紙に力を出すことができるのか?

 

 

ここをどう考えるかが信仰であり

人間の興味深いところである

 

信じるも信じないもどちらも信仰だとわたしは考えている

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お参りできてうれしかった

わたしは

世界的にも有名な研究所で働いていたが

その実験室にも

クリーンルーム内にも関わらず神棚が設置されていて

新入社員の時にそれを見た衝撃は

「神様は非科学的ではないんだな」とあらためて思うようになった*1

 

 

ここからはわたしの考えだが

信じることによって

外部から何かパワーみたいなものが飛んでくるというのは

そすがにそういうことは考えていないし

今まで科学的なことを勉強した経験からもそういうことは

ないと思う

 

 

ただ

信じることで

自分の身体の内部で変化が起きて*2

それが良い方向に進むのであれば

そう考えた方がいいんじゃないかな

と、今さらあらためて書くことでもない内容であるが

そう思っている

 

 

ルーツを探る旅というのも同じで

ご先祖様が見守ってくださるという考え方をされる人もいる一方で

わたしは見守ってくださると思うことで

わたしが自信を持つとか安心感を持つ結果

見守られていることにつながる

 

そこにヒントを見出して

そこからさらに深く考えているわけだ

*1:実は大学の実験室には神棚はなかったけれど、配属された研究室にいらした教官の一人は定期的にお参りをしていたと聞いている

*2:例えば、リラックスや緊張もその一つでわかりやすい、もう少し踏み込むとひらめきだとか