日本には○年生で〇〇を学ぶという慣習がある
足し算、引き算は1年生
かけ算は3年生
英語と方程式は中学一年生といった具合である
英語が中学一年生??と言われるかもしれない
そうだよ
時代とともに細かく見ていくと
○年生で〇〇を学ぶ
というのは変わっていくので
そういうのにはあまりとらわれない方がいいと思う
よく
〇〇高校に入ったから頭がいいとか
〇〇大学に入学したからどうこうという話があるが
それはその年齢の時に試験範囲の成績がよかったという話で
別の視点で考えれば
その年齢に間に合わなくても
その後で解けるようになればいいんじゃないかと思うのだ
わたし自身、中学高校と第一志望は開成だったが
入学試験の時には解けなかった問題も
半年もして過去問が販売される頃には
答えを見て「あーそういうことだったか」と妙に納得した記憶がある
悔しいというより、ちゃんと解けた自分がうれしかった
一方、大学受験はそう簡単にはいかない
今でも格闘しているのは
レベルが高すぎるのか、いやわたしの能力が追いついていないのか
そういう世界である
いつまでも
受験勉強にこだわったり、執着したりする必要はないと思うが
入学試験に出題されるということは
入学後に必要な能力を提示していることだろうと前向きに考えて
わたしは機会を作って自分のレベルをキープするように意識している
前置きが長くなったが
今日言いたいことは
「その時わからなくても、いつかわかればいいということ
だからあきらめないでいいということ」
「唯識」を勉強したらいいと勧められたのが今から18年前、2004年だった
当時、紹介された本も買って勉強したのだが全然頭に入ってこない
そんな状態であったがいつかわかる日が来るだろうと思って
本も残しているし
また「唯識」についての新刊が出れば買っていた
この教育テレビの内容も録画したのが5年前
もちろんその時も見ていたのだがさっぱり頭に入らず
ただ先日、
「もしかしたら学ぶのは今じゃないか」という直感が働いて
テキストを手に録画を見たところ
まさにタイミングは今!!という感じだった
なぜ、今なのか
なぜ、そう感じたのか
に理由は見つけられないけれど
録画のハードディスクが壊れる前で良かったなーと思っている
唯識を勧められたのはわたしだけではない
妻も同時に勧められていた
今、わたしから妻に
おもしろいよーと勧めているところで
これもいつ行動になるのかわからないが
その時が来るのを楽しみにしている