ラジオや授業の中で
わたしはある作業をしていたことに気がついた
それは一言で言えば
「自分の蔵書を処分している」ことだ
簡単に言えばこうである
わたしの部屋には
たくさんの本やCDがあった
それらをラジオや授業で紹介する毎に手放していったのである
つまりコレクションしていたものを手離していくという
自分でも想定外のことが起きたのである
大事にしているから集めていたのに何で?とも思う
不思議だ
もちろんだが
手放すためにラジオや授業をやっていたのではない
なんなんだろう、この不思議な感覚
そして、手離したあと
自分に何が起きたか
例えば一冊だけ手離したとしたら
それは感覚的に何かを味わうことはできないと思うのだが
あるテーマについて取り上げたときに
10冊の本を使ったとしたら
この10冊の本が自分の中で組み直されて
自分の中に新たな一冊が生まれてくる感覚である
大学の卒業論文など
たくさんの文献を読んで
それらが一つの卒論になるわけだが
その文献は巻末に
referenceとして掲載されるだろう
そしておそらく論文の著者は
参考文献をいつまでも保有していないはず
そんな感覚だ
繰り返すが
片付けるためにまとめたのではない
そこのところは大事だ
コレクションしていたものを手放すというのは
自分でも信じがたい行動だったりするのだが
そうした過程を得て生み出したものは
自分の中で
形あるもの、形ないものを含めて
地肉となって新たな世界を感じさせてくれている
ラジオや授業を通して得られたものは、自分の中で物事が統合されていく感覚である*1